[ #夢野幻太郎誕生祭2019 ]


 四月一日は小生の誕生日である。
 暦の上では春だけれど、未だ雪の残っていたふるさとで父母が俺を拾ってくれた、大切な日だ。これは紛う方なき事実であり、嘘ではない。それなのに。

「エイプリルフールが誕生日なの?」
 ラップバトルの際に中王区に提出しなければならない書類を取りまとめていた乱数が、バトル参加者の個人情報の欄を見て、澄んだ湖面のような瞳をキラキラと光らせていた。
「すっごーい、流石幻太郎だねっ。四月一日生まれだなんて面白すぎるよ!」
「ふふ、そうでしょうそうでしょう。世間はエイプリルフールというイベントに乗じて嘘を楽しみますが、小生にとっては生を受けた日ですからね。夢野幻太郎に実にふさわしい日だと思いませんか」
「確かに確かに! ……で、本当はいつなの?」
「――――さあ?」

 にこにこと問いかける乱数に、いつもの癖で意味深に微笑んでしまったこの時の己を過去に戻ってぶん殴りたかった。
 稀代の小説家だかなんだか知らないが、キャラ作りに凝って余計なことを言うんじゃない。この時のお前は確かに飴村乱数に信用を置いていなかったが、なんやかんやあってマブダチになり、二月十四日は帝統とともにしっかりと祝い、さて次の自分の誕生日はどういう風に祝して貰えるのだろうかと、指折り数えてそわそわと胸を弾ませるくらいには、お前はポッセになってしまうんだぞ。
 四月一日の予定をさり気なく尋ねた二人に、
「あ〜〜やめて! 聞かないで! 納期なんて知らない、僕は大事な大事なオネーサンとデートするんだから」
「その日は……そうだっ、りおーさんと約束してるんだった! 思い出させてくれてサンキューな、幻太郎!」
 ……と、我が輩のバースデーなど頭に無い返事をされて本気で落ち込む未来の俺など、あの時の自分に想像できなかったのは致し方ないけれど。


「ねえ、今日は久し振りに泊まってもいいかい……?」
 縋るような気持ちで、真っ白な指をきゅうと握った。病室のベッドに横たわる友人は、俺からのスキンシップなんて慣れている筈なのに何故か溜め息を吐き、そして。
「さっさと帰りなよ、夢野」
 バッサリと容赦の無い一言を浴びせてきた。
「いやだ、今日は絶対に帰らない」
「あんまり我が儘言うと出禁にするよ」
「誕生日の親友に言う台詞がそれかい?!」
「……友達だから言ってるんだけどなあ」
 やれやれと苦笑いを浮かべた彼が、聞き分けの無い子供をあやすように小生の頭を撫でた。
「俺だって出来ることならお前と過ごしたいけど、とにかく今日は家に帰りなよ。それが俺からのプレゼントなんだからさ」
 筋肉の落ちた脆弱な手のひらなのに、彼によしよしと撫でられると何も言えなくなってしまうのは何故だろう。君は俺にひとり寂しく誕生日を過ごせと言うのかい、と問いたかったが、彼がそんな薄情な人間でないことは身をもって解っていたし、彼の頼みを拒む選択肢がそもそも俺には無いのだ。
「君がそう言うのなら……」
 渋々頷くと、爽やかな笑顔で見送られた。「またな、夢野。次は泊まっていいからな」と、緩く弧を描く目尻に手を振りながら、俺は心の中で溜め息を吐く。
 別れ際にほんの僅か、彼の瞳に寂しそうな色が見えた。あれは多分、一緒に居たいという彼の本音ではなかろうか。俺だって誕生日は一緒に過ごしたいと思っているし、去年まではそうして来たのに、今年に限って何故断るのだろう……。
 そんなことをつらつら考えながら帰路を歩き、真っ暗な玄関を解錠してぱちりと電球のスイッチを、押した瞬間だった。
「幻太郎、おっせーーよ!」
 後ろから突然抱きつかれた小生は、声の主が帝統であると気付いたものの肘をみぞおちに思い切り叩き込んでしまった。反射で動いた身体を止めるのは間に合わず、流れるような動作で急所に一撃を食らった男が、蛙が潰れたような声を上げる。
「……ややわあ、帝統はん。痴漢は犯罪どすえ」
「おまっ……い、痛ってェ……」
 帝統の好ましいところは、こういう時素直に自分の非を認める、性根の真っ直ぐさだった。土間に蹲って痛みをやり過ごす男は、護身のためとは言え成人男性の全力で反撃した小生に文句を吐く事はない。
「驚かせて悪かったよ……だってさー、ずっと外で待ってたから寒くて寒くて」
 両腕を擦りながら鼻を啜る帝統の言葉に、おや、と違和感を覚えた。確かにシブヤの四月は気温がぐっと下がる日もあるし、日はとっくに落ちて辺りは真っ暗だ。玄関の掛け時計を確認すれば時刻は二十時を過ぎている。けれど。
「待っていたって、誰を……」
「ハァ? お前に決まってんだろ」
「どうして。貴方、今日は毒島さんと過ごす予定じゃなかったんですか?」
 思いがけぬ返答に目を丸くしていると、小生とは反対に、帝統は合点がいったのか軽く笑った。
「げんたろー、夕飯食った?」
「いえ、これからです」
「よっしゃ、でかした! 理鶯サン仕込みのとっておきのメシ、作ってやるからなー」
 小生の返答に気を良くしたのか、上機嫌で上がり框を飛び越えた帝統はまっすぐに台所へと向かった。よくよく見れば、左手に大きな紙袋を下げていて、何やら見慣れない食材……あれは食材なのか? と思しき物体が顔を覗かせている。まさかこの展開は、ひょっとして。
「ダチの誕生日にピッタリって言ってたから、幻太郎も気に入ると思うぜー。ヨコハマディビジョンのヤクザとケーサツも褒めてたみてーだし」
 ダチ、誕生日、とはっきり聞こえた二つの単語に、ぶわあと熱が上がった。帝統は俺の誕生日をきっちり認識している。ひょっとしてこれは、今目の前で台所に立つ帝統は、小生のことを祝ってくれているのではないだろうか。
 単純すぎる自分の心臓が、急に早鐘を打ち始める。それに畳み掛けるように、今度は携帯が鳴った。画面を見れば乱数からの着信で、応答のマークに指を滑らせると、
『幻太郎、ごめえええん』
 耳に飛び込んできたのは甲高い謝罪の声だった。
「乱数、どうしたんですか?」
『どうもこうもないよォ! 仕事終わんない……幻太郎の誕生日が終わっちゃう……』
 再び聞こえた誕生日、のワードに、悲しげな乱数とは正反対に胸が躍ってしまった。
 確かに納期がまずいというような事を言っていたけれど、そもそも大事な大事なオネーさんとデートだったのでは。小生の顔、中性的で色気があると褒められる事はあるけれど、決してオネーさんではない。まあ乱数が祝ってくれるのなら、何でもいいけれど。
『クッソ、あー、もう! 午前中には終わってる筈だったのにーー』
「ら、乱数、そんな低い声で唸って大丈夫ですか。事務所にいるんでしょう?」
『だいじょぶだいじょぶ、みーんな修羅場で俺のコトなんて見てないから。それよりげんたろー、ごめんねぇ。遅くなるけど絶対行くから、待ってて欲しいな』
 しょんぼりと肩を落としているのがハッキリ解る声音で告げられれば、返事は一つしかない。
「お待ちしていますよ、乱数。でもその様子じゃ、今夜はあなたに寝かせて貰えそうにありませんね」
 くすくすと笑いながら返した言葉は、自分でも驚くほど優しい声をしていた。出会った当初の警戒心など、もう跡形も無い。
 ねえ乱数、帝統。たったひととき、志を共にするのも乙ですが――マブダチって、いいものですね。