[ #飴村乱数誕生祭2021 ]


 納品のため訪れた客先で、それを褒めたのはただの社交辞令だった。応接室に飾られていた古い鏡。蚤の市で買ったというどうでもいいエピソードににこにこしながら便乗してやったら、どういうことか、後日それが事務所に送られてきた。
「気に入って頂いたようでしたので、日頃の御礼に」と、まるで嬉しくない気遣いの品を俺は自宅へ早々に持ち帰り、その日のうちに粉々に割った。
 鏡に映る顔が、俺は大嫌いだった。同じ面がこの世に一体幾つあるのか、俺は知らないし知りたくもない。向けられる憎しみが増える度に、どこかで何かをやった俺の存在を嗅ぎ取ることはできたが、理解したところで虚しくなるだけだった。
 何もしていない時でさえどんどん薄汚れていく自分が怖くて、家に姿見は置かなかった。職業柄事務所にはたくさん備えていたけれど、綺麗なオネーサンと可愛い洋服を映す鏡は俺の時とまるで様子が違う。事実をありのまま突きつけてくる銀色の硝子が、俺はずっと嫌いだった。


「暫く小生の家に居てください」
「え……?」
「本当は医者に診せたいところですが、貴方の場合は都合が悪そうですから。その代わり、小生の家できっちり養生してもらいますよ」

 三人の俺≠撃退した後、幻太郎はふらふらになりながら俺の腕を掴んで離さなかった。

「ええー……。いっ、いいよお。飴があればホント、へーキだから」
「お前が良くても俺らは心配なんだよ。回復するまでキッチリ見張ってやっからな!」

 頑として譲らない二人に、半ば引きずられるようにして幻太郎の家に泊まり込んだのが昨夜のことだった。
 慣れない他人の家と、布団を三つ並べる光景にそわそわしていたのは一瞬だけで、気付けば泥のように眠っていたことを自覚したのは、昇りきった太陽に瞼をまぶしく照らされたからだった。
 ――久し振りによく寝たなあ、そう思いながら室内を見渡すと、帝統はまだ鼾を掻いてギャンブルがどうのと寝言を漏らしていたけれど、幻太郎の布団は綺麗に畳まれていた。
 起き抜けのぼんやりした眼をこすりながら洗面台へ向かっていると、台所の方からお出汁のいいにおいが漂ってくる。冷たい水で顔を洗っていると、察しの良い幻太郎がやってきてふかふかのタオルを差し出してくれた。
 お日様みたいにあたたかなタオルで顔を拭い、すっきり覚醒した頭で鏡に映った顔を見て僕は思わず驚く。

「えっ、可愛い……」
「はいはい。血色が良くて何よりですよ。朝食出来てますから、終わったら帝統を起こして連れてきてくださいね」
「りょうかーい」

 台所へと戻る幻太郎を見送る僕の、鏡に映った顔はやっぱり可愛いままだった。むずむずと口元が綻び、口角が自然に上がる。「あー、やっぱ僕ってかーわいい!」と声に出せば、鏡の中の自分が笑ったような気がした。