[ #夢野幻太郎誕生祭2021 ]


『ごめんねえ、幻太郎』
 通話の先で申し訳なさそうに乱数が口にしたのは、二度目の謝罪でした。
 彼は何も悪くない。仕事が立て込んでいるタイミングで友人から突然食事に誘われ、断ったもののしつこく食い下がられ、そこまで言うなら、とリスケを試みたけれどやはり無理だった――わざわざ折り返しの電話まで入れて、謝る必要のない二度目の詫びを入れてくれた彼に、小生はもう何も言えませんでした。漏れそうになった落胆をぐっと呑み込み、笑顔を取り繕います。
「いえ、こちらこそ突然すみませんでした。また次の機会に誘いますね」
『うんうん、次はボクからも声掛けるよーっ』
 明るく頷いた彼の声に被さるように、乱数を呼ぶ声が聞こえてきました。事務所のせわしない空気が通話越しでも伝わってきて、タイミングが悪かったのだと、もう諦めざるを得ませんでした。


 帝統に送ったメッセージは既読になっているものの、返信はなく、案の定電話も繋がりませんでした。賭博が盛り上がっているか、はたまた電波の届かない場所――ヨコハマの辺鄙な森の中だとか――にいるか、どちらにせよこの男も望みは薄いなと思い、今度こそ遠慮無しに大きな溜め息を吐きます。今日はどうも間が悪いらしい。乱数と帝統を誘って小生の自宅で鍋をつつきたかった、ただそれだけだったのに。
 普段ならメッセージ一つでたやすく集合する自由人ばかりのフリングポッセですが、噛み合わない時もあるのだと思い知らされました。前もって二人の予定を確認しておけば良かったと少しだけ後悔しながら、ぎっしりと食材の詰まった買い物カゴを一瞥し、自棄糞な気持ちでレジへと向かいました。


 炬燵にコンロを設置し、良い具合にくたりと煮えた食材を一人で装う虚しさときたら、胸に穴が開くようでした。テレビから乱数と帝統のリリックが流れてくるのも逆効果な気がします。せめてもの賑やかしにと、最近映像化されたライブをBGMに選んだのは、どうしてもこの場に二人に居て欲しかったからでした。
 乱数が食べたいと言っていたチゲ鍋は上々の出来栄えだったし、食後の娯楽に花札やトランプも用意しておきました。手回しは完璧で、けれど何よりも必要な存在の不在に溜め息が零れそうになります。
 今日という日を二人と過ごしたかった。我ながらささやかな願いだと思うのですが、一人鍋をつつく現実に、人生とはままならないものだと――少しだけ悲観的になりかけた時でした。テレビから聞こえるリリックよりも、ずっと生々しくて騒々しい帝統と乱数の声が響いたのは。

「ゲンタローっ、開けてくれー」
「待たせてごめんね〜っ」
 慌てて施錠を解くと、そこには居ないはずの二人が立っていました。
「……何でいるんですか?」と目を瞬かせる小生を気にも留めず、ダイニングへ向かう二人の足取りに迷いはありません。
「なんだろ〜、スッゴク良い匂いがする……!」
「これは……チゲ鍋だな! 俺の勘がそう告げてるぜ!」
「え! チゲ鍋!?」
 声のワントーン上がった乱数が、持っていた荷物を帝統に押し付け食卓へと走りました。両手が塞がってしまった帝統を覗き込むと、見慣れた銘柄の缶がガチャガチャと音を立ててぶつかり合っています。
 思わず目を合わせると、「げんたろーはどれがいい?」と無邪気な笑顔が返ってきて。一瞬返事に詰まってしまったのは、些細なやり取りにどうしようもない多幸感を覚えていたからでした。


 晩酌を終えた頃には夜も更けきっていて、乱数と帝統と小生は客間に並んで就寝していました。就眠も起床も三秒あれば十分な帝統は既に鼾をかいていましたが、夜に活動していることの多い乱数と小生は声を潜めながら他愛ない話を交わしています。
「……仕事は大丈夫だったんですか?」
「ウン! 帝統が手伝ってくれたお陰で、何とかね〜」
 予想外の答えに思わず怪訝な表情を浮かべてしまうと、乱数は愉快そうに笑いました。
「事務所に一台しかない特注のミシンが壊れちゃってさあ、大ピンチだったんだけど……帝統がね、『叩けば直るんじゃね?』ってびしーってチョップしたらホントに直っちゃったの」
「ええ……」
「もー、めちゃくちゃ焦ってたから神様に見えちゃった!」
「相変わらず、無茶苦茶な人ですねえ……」
 感心と呆れを混ぜながら呑気に眠る帝統を見つめていると、不意に乱数の着信が鳴り響きました。けれど彼は珍しく、応答しようとしません。こちらに気を遣っているのかと目線で問いかけると、彼は苦笑しながら首を横に振りました。
「『お誕生日おめでとう』」
 乱数の口からぽつりと漏れた言葉に、思わず身体が硬直しました。
「……ってね、さっきメッセージ送ったんだ。今日、仲良しのオネーサンのお誕生日だったから」
「あ、ああ……そういうことでしたか」
 心臓が早鐘のように鳴り響いて、脳が高揚するのがわかりました。私に言われた言葉でないことは解っていても、身体は素直なものです。
「一緒に過ごさなくて良かったんですか?」
「うーん……オネーサンには申し訳ないけど、誕生日って特別だから。一緒にいると期待させちゃうでしょ」
「成る程、飴村乱数の牙城は誰にも崩せない、という訳ですね」
「あ、でもでも幻太郎と帝統はトクベツだから。四月一日は三人でぱーっとお祝いしようね!」
「……ええ。楽しみにしています」
 うまく笑えているだろうか、と不安に思ったけれど、小生の返事に乱数は嬉しそうに顔を緩ませただけでした。
 それから他愛ない話をぽつぽつと続け、ようやく乱数の瞼がとろけたのを見届けてから、小生は顔を覆って項垂れました。
 大事な人に言えないことがある。その辛さと罪悪感を呑み込みながら――誕生日おめでとうと、兄さんを想って胸の中で呟きました。
 乱数と帝統のお陰で、一人だけ今日という日を幸せに過ごしてしまった。その事実を申し訳なく思う気持ちに嘘はないけれど、耳に聞こえる二人の寝息にどうしたって安堵してしまいます。
 痛いほどの幸福を感じながら、小生はそっと瞼を閉じ、兄と、それから自分の生まれた日に幕を下ろしました。