[ 弾痕 ]


 一面の銀世界に、恐ろしいほどの静寂が広がっていた。
 通年雪に覆われているこの星に生体反応が無いことは、着陸前にラムダが調査済みだった。物資の調達は期待出来ないが、生命が存在しないのであれば襲撃される危険もないだろうと、息抜きに立ち寄った星だ。長居をするつもりはなく、到着して二日目には狭いこの星の調査は終わってしまい、夜が明ければ次の星へ発つ予定でいた。そのつもりで目覚めた余の隣には、ゲンタロウも、ラムダもおらず、ひとしきり艇内を探し回った後に宇宙艇を出てみれば、外の世界は着陸した日よりもずっと深い白銀に覆われていた。
 一歩踏み出せばやわらかな雪に足は深く埋まり、歩くことさえままならなかった。肩がぶるりと震えたのは、凍てつくような寒さを感じたからか、それとも嫌な記憶を揺り起こされたからか。
 ほんの数年前――まだゲンタロウと二人で星を巡っていた日々を回顧する。祖国を出るまで雪を見たことのなかった余とゲンタロウが、初めて訪れた雪の降る星で吹雪に見舞われた時のこと。予期せぬ篭城を強いられて、暖を取るための燃料と食糧が尽きそうになったこと。心中を覚悟した余と、余を生かすため自らに引き金を引いたゲンタロウの血に塗れた姿。
 唐突にフラッシュバックしたそれらの記憶を振り払うように、腹に力を込めて喉を震わせた。ゲンタロウとラムダの名を呼びながら周辺を注意深く観察する。二人の姿を探しながら、艇体に沿って歩き出した時、頭上から思わぬ落下物に見舞われた。頭に当たったのが雪の塊だと気付くと同時に、聞き慣れた軽やかな足音も耳に届く。
「まさか当たるとは思わなかったぜ」
「……ゲンタロウ」
 外壁の梯子を器用に滑り降りてきたゲンタロウに釣られて頭上を見上げると、艇体の頂上でラムダが熱心に何かを工作していた。遙か頭上の彼と、余の隣に立ったゲンタロウを交互に見つめると、
「どんくせーなァ、王さま」
 ふはっと笑う。呆れたような声に愛しさを滲ませて、ゲンタロウが笑っている。
「探させちまって悪かったな。出発前に遊んでいこうぜって、俺が誘ったんだよ」
「何故余も誘わなかった」
「お前、朝弱すぎるんだよ。さんっざん声掛けたのに全然起きねーんだもん」
「ちなみに私はゲンタロウがダイスを怒鳴っている声で目が覚めたよ」
 いつの間に地上へ降りてきたのか、ラムダが裏付けをするような言葉を口にしながら余の下へ歩み寄ってきた。目覚めの悪さは身に覚えがあるので反論できずにいると、白衣の袖を捲って雪の塊を差し出された。
「これは何だ?」
「兎という生物を雪で模したものだよ。雪遊びの一種らしい。初めて作ってみたけれど、意外に奥深いものだね」
「コイツすげーんだよ。本物そっくりに作れるし、ラムダが作ると雪なのに全然溶けねえの」
「ゲンタロウの兎も愛らしかったよ。崩してしまう前にダイスにも見せたかったな」
 手渡されたラムダの細工をしげしげと眺めながら感心していると、唇を尖らせたゲンタロウが視界に映った。
 手先は器用だが独特の発想を持つ男だ。おおかた不格好な細工を作り、余に見られる前に壊してしまったのであろう。ゲンタロウは余の前では己を取り繕う傾向があるので、兎を見ることができたラムダを少し羨ましく思ってしまう。



「ちょっといいかい、ダイス」
 ラムダが声を掛けてきたのは、次の星への航路が安定しおのおの自室で寛いでいる時だった。「君に見せたいものがあるんだ」と彼の研究室へ誘われ、モニターに出された画像に思わず目が丸くなった。俯いているゲンタロウと、彼の手が不思議な形をした雪の塊に伸びている姿が映し出されている。
「……なるほど。これは確かに」
「愛らしい兎だろう?」
 表情こそ変わらないが、ラムダの声が僅かに跳ねた。賛同すれば、まるで自分が褒められたかのように満足そうな顔で頷いて、
「投げる前の映像が撮れていないか解析してみたんだ。丁度良い角度のものがあって良かった」
「――投げる?」
 思いがけず落とされた情報に、余は耳をそばだてた。
「ああ。君が私達を探しに外へ出て来ただろう? 声を聞いて、ゲンタロウが咄嗟に自分の兎を落としたんだよ」
「何故」
「それはわからないな。ただ、随分焦った顔で君のもとへ向かったから、自分の位置を知らせたかったのかもしれないね」
 余の知り得ない、今朝のゲンタロウの行動が淡々と明かされてゆく。雪というものには良い思い出がない。決して失ってはならないものを喪いかけた恐怖や絶望は、心に植え付けられて今でも時折顔を覗かせる。――そんな余の頼りなさを、ゲンタロウはどこまで気付いているのであろうか。
「ラムダ、頼みがある」
「なんだい?」
「朝に不自由しない機械を作ってくれないか。音でも光でも、何でもいい。きちんと目覚めて、次の星では――」
 お前達に置いていかれたくない。そんな子供じみた願いを笑うことなく頷いた科学者もまた、氷に覆われた星で孤独に過ごしてきた男だった。