[ #有栖川帝統誕生祭2022 ]


「ダイちゃんは勝ち負けが分かりやすい」と、俺を知る人間は皆口を揃えて言う。
 肩を落としてシブヤの雑踏を歩いていた俺に声を掛けた麻雀仲間のおっちゃんもその一人だ。振り向くと、見知った顔に開口一番「まーた負けたのか」と明るく笑われ、「おっちゃん……エスパーか?」と俺は萎びた声を返した。
「ダイちゃんは顔に全部出るからな。で、今日は何やらかしたんだ?」
「それがよぉー……」
 ネオンが眩しい夜の往来に立ち止まり、俺はおっちゃんに今日のあらましを吐き出した。馬券を引き当て、スロットで荒稼ぎをし、豊潤な紙幣でポケットを膨らませて辿り着いた賭場のオールインで、見事すっからかんになった顛末を。
「なーんだ、いつも通りじゃねえか」
 そうおっちゃんは笑ったが、途中まで大勝ちしていただけに最後に落とされた俺の落胆はデカい。今日はドカンと一発当ててやりたかったのに、と内心ぼやいていると、浮かない顔色を違う方向に読み取ったおっちゃんが勢いよく肩を掴んで、「今夜は奢ってやるからメソメソすんな」と励ましてきた。
 ずしりと肩に圧し掛かる腕の重みを有難いと思いながら、俺はちっとばかし申し訳ない気持ちで「先約があるから」と誘いを断る。また今度奢ってくれー、と笑った俺を小突いたおっちゃんと道を別れ、道玄坂の十字路を右に曲がると、俺の足は通い慣れた幻太郎の家へ向かい迷いなく突き進んで行った。


「ぜってー黒だと思ったんだよォ」
「あ、乱数、ついでにお醤油取ってきて貰えますか? 右のポケットに入ってる……」
「牡蠣醤油ってやつ?」
「それです、ありがとうございます」
 卓袱台に突っ伏して今日のルーレットの一部始終を話す俺に見向きもせず、幻太郎と乱数は夕飯の支度をテキパキと整えていた。幻太郎が皿を並べ、乱数が細々とした飾り付けに奔走し、俺はそれを手持無沙汰に待機している。
 こういう時にパシリにされがちな俺がただ一人胡坐を掻いているのは、一応今日が誕生日だからっつーコトらしい。別に良いのにとは思ったが、用意していたメシをあれこれと用意する二人が楽しそうだったので、ブツブツ言いながらも今日の負けに対するダメージは少し軽くなっている俺がいる。
「はいっ、帝統! これ着けてね」
「はぁー?」
 満面の笑みで乱数に手渡されたのは、一本のタスキだった。肌触りの良い生地に、『#本日の主役』『#お誕生日おめでとう』そして『#すかんぴんギャンブラー』『#借金返せ』と耳障りの悪い言葉がご丁寧にプリントされている。
「ぜってーヤダ!!」
 と叫んだものの、着けないなら利息をトイチにするという二人の脅しに俺は赤いラインの入ったタスキを無言で身に着けた。前後左右からスマホを向けられ、好きにしろと投げやりな気分でシャッター音を聞き流す。
「いいねー、男前だよお帝統」
「今年も沢山負け……、素寒ぴ……、ギャンブルを楽しんでくださいね」
 SNSに投稿しながら満面の笑みで俺を見つめた二人に、不貞腐れた声で俺は「腹減った」とだけ返した。




 ふっと目を覚ますと、仰向けになった視界に飛び込んできたのは照明の眩しい明かりだった。
 目を瞬かせながら周囲を一瞥すると、卓袱台の上の空になった食器や酒瓶、そしてソファーに凭れて眠る幻太郎と、幻太郎の太腿を枕にしている乱数が目に入る。更に首をぐるりと回すと開けていた窓の隙間からまだ淡い朝日が差し込んでいて、床に落ちていたスマホを触らずとも時刻は察しがついた。
 床に伸びていた身体を起こし、凝り固まった首を鳴らしながら立ち上がる。照明をオフにし、卓袱台の上のライターとタバコを掴んだ俺は、静かに窓を開閉し庭へ出た。
 火を点けて一服すると、七夕が終わった明け方の空に紫煙が立ち上る。ライターをポケットに仕舞おうとして、ふと手に触れた生地に俺は目を丸くした。シブヤとは思えない早朝の静けさの中、浮かれたタスキを掛けながら民家の庭でタバコを吸っている二十一歳の有栖川帝統など、あの頃自分の周りにいた人間の誰が――そして俺自身も、想像出来ただろうか。
 家を出たのは丁度こんな時間帯だったなと思い出す。だだっ広い屋敷が一番手薄になる明け方に、何の未練もなく俺は家を捨て、それから数年が経っている。その間に母親は内閣総理大臣となり、H歴を施行し、そして毎年七月七日に政府広報が総理の動静を唯一更新しない事実に気付かなかったくらい、俺はギャンブル漬けの毎日を送っていた。
 家を出た翌年の七月七日は誰にも何も言われずに一日が終わった事が嬉しかったし、二度目の誕生日は自分でも日付を忘れたまま賭博に興じていた。三度目は誕生日だからと競馬仲間に貰った馬券が大化けし、金を借りてたおっちゃん達に追い回されて終わった。
 そして今。
 俺は乱数が刺繍したタスキに灰が落ちないよう気を払いながら、シブヤの空にゆっくりと消えてゆく紫煙を眺めている。七月七日に間に合わせようと、納期と締切をギリギリで片付けた乱数と幻太郎は熟睡していて起きる気配は無い。SNSを盛大に更新され、山のように写真や動画を撮られ、寝落ちるまで飲み明かした今年は少し賑やかだったなと思ったが、媚びを売る大人が代わる代わるやって来る訳でも将来の抱負を確認される訳でもなく、信頼する二人のダチが楽しそうに笑う宴は居心地が良いもんだなと知れた。
 けれど俺は、誰かに祝われる七月七日を嬉しいと感じるのは初めてではない。遠い昔、まだガキの頃の俺を見つめる母親の眼差しは、窮屈な実家で唯一俺が大事にしていたもので――あの頃俺を大事にしていたおふくろと、たった今ソファで眠る二人に向けて「悪くねえ人生だよ」と俺は独り言ち、火の消えた吸殻を庭先へ放った。