[ 賽は振られた ]


 帝統に気持ちを伝えよう、と決めてから、小生はたくさんのシミュレーションをした。物語を作るように想像し、分岐点を考え、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、緻密にルートを用意し対応を練った。
 そして準備が整ってからも、いざその一言を伝えるまでにかかった時間は呆れるほどに長かった。多分、季節が二つは流れている。そうしてようやく伝えられたのは、一文無しになった帝統が一晩の宿を求めてやってきた、よくあるいつもの夜の事だった。

「愛しているからですよ、帝統」
 何でオメー、いっつもそんなに優しいの。小生の差し出した寝間着を纏い、小生の手料理を咀嚼しながら、気まずさを隠すように素っ気ない態度で帝統が問うからその言葉はするりと出た。あっ言えた、と我ながら驚いたのは一瞬で、シミュレーションの積み重ねのお陰で、表面上は冷静を保てた。
 ぎこちなくならないよう、そっと帝統に視線をやると、彼は呆然とこちらを見つめていた。賭け事に高じている時のギラギラとした光は影を潜め、毒気を抜かれたような、丸く見開かれた瞳は、まるで“嘘ですよ”という俺の一言を待っているかのようだった。
 そりゃそうだ。僕の調べた限り、有栖川帝統は同性の告白を、それが例え友人だと信じていた親しい相手であろうと甘受する人間では無い。
 だからこの場合、わっちの考えていた対応はこうだ。お得意の、そして恐らく帝統が望んでいる言葉を言えばいい。「まあ、嘘ですけど」。これは本当に便利な呪文で、何もかもをリセットしてくれる。残念ながら呟いたところで小生の気持ちまではリセットされないので、今後ずっと友人のふりを続けていく事を考えると気が滅入ったが、嫌われるよりはずっとずっとましだった。
 あーあ、小生は本当に嘘の達人ですねえ……と自分で自分を慰めながら、口を衝いて出たのは、
「うそじゃないです」
 ――否。否否、いや、何を言うんだ夢野幻太郎。心臓がどっと冷や汗を掻いて、それから目まぐるしく、身体中に酸素と焦燥感を運び始めた。今何と言った。いや、それよりもまだ間に合う。すぐに訂正の言葉を告げてこの場を去ればまだ、きっと、大丈夫だ。
 そう言い聞かせた理性の忠告を無視して、小生の口から出たのは、「すみません」とか細い謝罪の声だった。
 俯きながら、取り返しのつかなくなった事態に愕然とした。膝の上でぎゅうと握った拳が気を抜くと震えそうになる。今すぐにこの場から逃げたかったが、情けないことに、身体が硬直してしまって立ち上がれなかった。
 怖い。怖い。シンと静まりかえった沈黙も、真実をありのまま伝えてしまった事実も、これから帝統からの拒絶の言葉を受け止めなければいけない現実も、全部怖くて、怖くて仕方がないのに――嘘にしなかった自分の頭を撫でてやりたい気持ちが芽生えた。
 帝統が好きという気持ちを、嘘にしなかった。その勇気は少し褒めてもいいかもしれない。そのお陰で今ものすごく、余命宣告を待つ気持ちになってはいるけれど。

「俺でいいの」
 固く握りしめていた小生の拳に、帝統がそっと触れた。シミュレーションと違う反応に伏せていた顔が思わず上がる。重なった目線の先で、帝統が浮ついた眼差しをしていた。
「俺、ギャンブラーだし、おまえにあげられるモン何もねぇけど」
 小生の寝間着を着て、小生の家計を日々圧迫している素寒貧な男が、耳まで真っ赤にして呟く。帝統の指が小生の固い拳を開いて、包み込むと、見えない何かに心臓を鷲づかみにされた気がした。
「すげえ嬉しい……本当にいいのかよ、幻太郎」
 恥ずかしいのでもう言わないです、と突っぱねた声は、情けないことに涙声だった。