[ ファーストバイトには程遠い ]


 クライアントとの打ち合わせを終えて事務所に戻ると、予定していた顔ぶれが一つ足りなかった。
 おや、と思いながら、予定通り来ていた方の顔を覗き込んで僕はやんわりと察した。時刻は十二時を少し過ぎたランチタイムで、事務所のメンバーは皆外出している。恐らく、ここに居ないもう一人を連れて。
「アハッ、幻太郎ってばヒドい顔ー」
「……三十分遅刻ですよ、乱数」
 来客用のデスクに肘をついてふて腐れる幻太郎は、不機嫌を隠さなかった。遅れるってちゃんとメッセしたよーと答えながら、机を挟んで幻太郎の正面に座り、顔や仕草をこっそり盗み見る。
 普段ならばここで、「おやまあ、デザイナーとは思えない観察眼ですね、これでも妾は前世では数多の武士に求愛された美貌の持ち主で」云々かんぬん、とデタラメを生んでいるところなんだけど、なんか様子が変だ。なんか、は大体察しがつくけど。
「ねえ、帝統は?」
 今日はディビジョンバトルに備えた連絡会議だ。フリングポッセが全員揃っていなければならない。にも関わらず、一人足りない。
 理由はうっすら察していたが敢えて問えば、幻太郎の投げやりな声が返ってきた。
「お昼ですよ。そろそろ戻ると思います」
「幻太郎は? 行かなかったの?」
「腹が減っていないので断りました」
 淡々と答える表情は無関心にも見えたが、本心はそうでないことに気付けるくらいには、僕らはポッセとして時間を過ごしてきた。
 幻太郎も帝統も、元来の整った顔立ちに加えてシブヤを代表するヒプノシスマイクの持ち主だ。注目の的になることも、好意を向けられる事も多い。僕の事務所にも二人を気に入っている女性デザイナーは多かったし、度々行われるフリングポッセの集会をチャンスと捉えるのは女性として当然だろう。
 ぐるりと見渡した社内には、幻太郎以外見事に誰も居ない。食事に飢えることがままある帝統は、奢りという言葉とおいしいご飯に目が無いのだ。加えて人見知りもせず愛嬌もあるので、誘われれば二つ返事でついて行くだろう。
(打ち合わせが押さなければ、三人でランチでもと思ってたけど、失敗したなあ)
 内心反省しながら、拗ねた様子の幻太郎を眺めていると、事務所の扉が勢いよく開く音がした。


「……なんです、コレは」
 会議室に三人だけで隔離した後、長机にばらまかれた袋の数々に幻太郎は怪訝な顔をした。
 備え付けのコーヒーメーカーにカプセルをセットしながら、僕は鼻をひくつかせた。部屋中に香ばしくて甘い、好い匂いが漂っている。
「お前、来なかったからよ。後で腹減るんじゃねえかと思って。試食したけどここのパン、すげー美味いぞ」
 俺のオススメはメロンパン!と笑う帝統は無邪気だ。先程まで拗ねていた幻太郎の毒気が、みるみる抜かれていくのが解る。
「……麿はあんパン派でおじゃる」
「まーかせとけって! あんパンも買ってあるぜー」
「今はおにぎりの気分ですけど」
「げーー、マジかよお! そこまでは読めなかったぜ……」
 つーか、金がもうねえ。と帝統が少し悲しそうな顔をしたので、僕にはこの後の展開が容易に想像できた。
 まずは慌てた幻太郎が袋に手を伸ばし、
「別に、おにぎりでなければ食べないとは言っていません。こういうのは腹が満たされれば何でもいいのですよ」
 少し迷った後、メロンパンを選ぶ。それから一言。
「……まあ、悪くないですね」
 少し悔しそうにメロンパンを囓る幻太郎は、気付いていない。帝統は食べ物に釣られれば誰にでも懐くけれど、目的はあくまで食糧だ。貰う側であって、与える事はない。そんな帝統が自ら、財布の残金をギリギリにしてまで、自分より所得の多い人間にわざわざ差し入れをする意味を考えないのだろうか。
 それから帝統も、幻太郎が何故ランチについて行かなかったのか考えたりはしないのだろうか。
(二人とも早く気付けばいいのになー)
 パン屑のついた幻太郎のほっぺたに指を伸ばす帝統を見ながら、僕のにぶくて可愛いポッセがこの先どうなるのか想像して、僕は黙ってあんパンを囓った。