[ 二十万の代償 ]


「帝統、ちょっと目を瞑って頂けませんか」
 手招きをすると、元来素直な男は、言われるがままに小生の前に正座をして瞼を閉じた。帝統の眼差しは熱を持った宝石のようだと思う。ギャンブラーなのに裏表がなくシンプルで、スリルと興奮を求めていつだってギラギラと光っている。その熱が瞼とともに閉じられると、一転して彼の纏う雰囲気は静かになった。

「では、十秒間、小生が何をしても黙っていてくださいね。目はできれば閉じたままでお願いしますよ」
 帝統への貸金はちょうど二十万残っていた。それを帳消しにしてやる代わりに、実験に付き合ってくれないかと持ちかけると、負けが込んでいて小生への返済が滞っていた彼は、ウキウキと二つ返事で誘いに乗った。内容も確認せず了承するものだから、なるほど、ギャンブルでパンツ一丁になるのも頷ける。何をされるのかも知らずに――いや、知っていたら引き受けはしないのだろうけれど。
 さて、と膝立ちになって距離を詰めた。帝統の膝と小生の膝がこつんと当たって、伏せた睫がわずかに揺れたが、気にせずそのまま帝統の頬に手を添える。
 ああ、そうだ。確認を忘れていた。
「帝統。貴方、お付き合いしている方はいますか?」
「? いや、いねえけど」
 いないのか。そうか。
 これからする行為を考え、倫理上一応尋ねた問いの答えに、胸が熱くなる。湧き上がる鼓動の早さは、嬉しさから来るものなのだろうか。人を好きになったことがないから何も解らない。だからこそ、確認しなければ。
「すぐ済みますから、二十万だと思って静かにしていてくださいね」


 結論から言うと実験は失敗した。
 失敗――というか、想定外の結果が出た。呼吸が苦しくなってぷは、と酸素を求めた瞬間、開いた口に帝統が舌を差し込んでくる。流石ギャンブラー、機を逃さないものだな、と感心する余裕などこっちには無い。ぬるりと差し込まれた舌に肩が跳ねたが、変な悲鳴が出るのだけはなんとか堪えた。
 ちょっと状況がよく解らない。何だ、これは。



(小生、ひょっとして帝統のことが好きなのでは……?)
 自分の中の疑念に気付いたのは、帝統が泊まりに来た回数が片手では数え切れなくなった頃だった。
 それまでも、帝統に対する己の親切っぷりに我ながら首を傾げてはいたが、きっかけになったのはどちらかと言えば周囲の反応が大きい。担当から作風の変化を指摘され、乱数からは心境の変化を見抜かれた。
 紙の上に描いてきた恋物語はいつも自分からは程遠い世界だったのに、帝統と出会ってから親近感が湧いてどうしようもなかった。けれど自分では、確信できない。帝統に抱く想いは、人生で二度目の、ダチと明言してくれた存在に浮ついているだけのような気もするし、頻繁に宿を借りに来る彼に、両親と過ごしていた頃のぬくもりを思い出しているのも事実だった。

(それならさぁ、キスしちゃいなよ)
(はい?)
(げんたろーも帝統もニブニブだけど、男なんだし、特別な人とキスしたら世界が変わるよー、きっと)
(……乱数の案は、どうしてそう、かわいらしい見た目に反して即物的なんでしょうねえ)

 その場では溜め息を吐いて却下した案が、ふと思い出されたのは吉だったのか凶だったのか。
 何も知らずにいつも通り素寒貧で訪ねてきた男を見ている内に、ふと好奇心が湧いた。と言うか、いい加減うんざりしていた。日ごとに膨れあがる帝統への情動にけりを付けたい、そう思って持ちかけた実験の結果が、これだった。


「だ、帝統、もういいのですよ。終わりましたから」
「やだ」
「は?」
「五十万やるから、あと一分やらせて」
「え?」
「ごめん止まんねえ」
 え、え、え? と事態を処理しきれずに固まっている間にも、帝統の唇は攻めの姿勢を崩さない。柔らかい舌に唇を舐められて、知らぬ感触に思わず背中が震えた。
 小生、イレギュラーには弱いんです。原稿だって、いつもプロットをちゃんと組んで筋道通りに進めるタイプなんですよ、帝統。だからつまりこれは。た、対処しきれません……!

「あのさ、確認してぇんだけど」
「はいっ……な、何ですか」
「実験て何? おまえ、他の奴にもこういうことしてんの?」
 ようやく解放された口で息継ぎをすると、熱を孕んだ宝石がこちらを睨んでいた。ああやっぱり彼の眼差しはいいな、と見蕩れながら、問いの答えに首を横に振る。その瞬間、ふっと帝統の眼差しが和らいで。
 もう何度目かわからない口付けが、瞳と同じくらいの優しさで降ってきた。