[ ディナーの後で ]


 駅から幻太郎ンちまでの距離は結構ある。決して短くない道のりで、俺は何度も挫けそうになっていた。
 幻太郎の家まであと五十メートルという距離になっても尚、俺の足はUターンしたい衝動と戦っている。もう何度も確認した、右手にぶら下げたコンビニの袋がその原因だ。恐る恐る薄目でチラ見した袋の中には、ご丁寧にリボンの結ばれたローストチキン、そして苺の乗ったケーキが入っていた。何だコレ、と直視に耐えずすぐに目を逸らす。頭でもおかしくなったんじゃねーか、俺。
 こんな物を持って、どんな顔して幻太郎に会うつもりでいるのか、自分で自分がわからない。思わず頭を抱えたくなったが、頑張って歩いたせいか、気付けば見慣れた家の門の前に立っていた。
 コンビニの袋が、冷たい師走の風に吹かれてカサカサと音を立てている。くぐり慣れた玄関を前に、俺はごくりと生唾を飲み込んで呼び鈴を押した。ビーッと甲高いチャイム音が響いて、さあもう後戻りはできねえぞ、と腹を括る。けれど。
 待てど暮らせど、幻太郎はいっこうに出てこなかった。


 *****


「そう言えば帝統。テレビで見たんですが、一昨日は有馬記念だったんですね」
 十二月二十五日の、夕飯を終えのんびり読書をしていた最中に入った着信は、帝統からだった。
 迎えの催促かと思わず財布の残金を確かめたが、いざ電話に出ると実のない雑談ばかりで思わず拍子抜けした。何のために、と疑問に思ったが、口にしたら通話が終わるきっかけになりそうだったので止めておいた。
『あー、そうそう。すっげえ白熱したぜ』
「それはようござんした。スッカラカンになってもそう評せるのは貴方の美点だと思いますよ」
『オイ、負けてんのを前提にすんなよ!』
「……ちなみに、昨日は、何を?」
 声が少し泳いでしまったのを気付かれませんように、と祈りながら尋ねた。心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと不安になるくらい、緊張で胸が痛む。彼の答えが、小生の望むものでなかったらどうしよう。
 今年の十二月二十三日は有馬記念だった。ニュースでそれを知った時、帝統は高い確率で現地に赴くだろうと考え、そうなればスッカラカンに負けて小生の家に来る可能性も十分にある、と思った。負けた足でそのまま泊まりに来れば、翌日は二十四日だ。
 ギャンブル以外に興味を持たない帝統には、その日付の意味など頭を過ぎりもしないだろう。けれど小生の胸は、無数にある未来の一つに気付いた瞬間、馬鹿みたいにときめき――そして大いに浮かれた。
 スーパーで食材を買い込み、ケーキを予約し、あまつさえツリーまで用意してしまった。大げさにならないよう百円ショップのささやかなツリーだったけれど、散々馬鹿にしてきた、クリスチャンでもないのにイベントに便乗する、頭の弱い一般市民になっていた。この夢野幻太郎が。
『昨日?』
 少し怪訝そうな声が鸚鵡返しをする。
 帝統は、小生のときめきをあっさり裏切って来なかった。
 だから彼が十二月二十四日をどこでどう過ごしていたのかは、わからない。浅ましいと思ったが、どうしても知りたかった。別に、浮かれて用意した食材が無駄になったことはどうでもいい。ただ帝統が、誰かと一緒にいたかもしれない可能性を消したくて、競馬でも競艇でもパチンコでも何でもいい、とにかくいつも通り過ごしていたと、答えて欲しかったんだ。
『あー……昨日は、ケーキ食ってた。あとチキンも』
「おや、そうなんですか。てっきり競馬で全額スッて野宿でもしているのかと思いましたよ。貴方にもクリスマスらしい過ごし方、できたんですね」
 吃驚でおじゃ〜、と携帯を持たない方の手で口元を覆う。驚いた振りをしながら、声が震えそうになるのを必死で堪えた。
 何で貴方、野宿してないんですか。
 別に、十二月の寒空の元で帝統に震えていて欲しいわけじゃないけれど、せめて一人で居て欲しかったんですよ。チキンにケーキだなんて、まさかそんな真っ当な、他人との甘い過ごし方をできる男だなんて知りたくなかったのに。
『げんたろーは? 昨日何やってたの』
「え、ああ、貴方と一緒ですよ。ケーキを買って、チキンを焼いて食べました」
 油断するとうっかり涙がこぼれそうなので、目元に力をこめながら投げやりに答えた。貴方が来なかったので一人で全部食べてやりました、とは言わない。実はツリーまで用意してたんですよ、百均のですけど、買うのにどれだけ躊躇して恥ずかしかったことか。
 待てど暮らせど帝統が泊まりに来なかったので、無意味になった料理を一人で平らげ、ツリーをさっさと片付けて、それからやけっぱちでパチンコを打ちに出掛けた、なんて。小生の二十四歳のクリスマス、虚しすぎやしませんか。
『…………楽しかった?』
「ええ、まあそれなりに」
 嘘ですよ。大負けしました。入ったばかりの原稿料がパアです、と内心不貞腐れていたら、
『あっそ。あ〜〜〜〜〜、そうかよ、よかったな』
 小生よりもずっと不貞腐れた声が返ってきたので、思わず目を丸くした。
『幻太郎、いっこお願いあんだけど』
 不機嫌を隠さない声で帝統が告げた瞬間、タイミング悪くチャイムが鳴った。
「あ、すみません、少し待ってもらえますか。来客が――」
「二十歳のクリスマスをぼっちで過ごした俺に、やり直しさせてくんねえ?」
 言い終わらぬ内に玄関が勝手に開き、携帯と、目の前で、帝統の声が二重に重なる。突然やってきた帝統に目を瞬かせていると、無言で袋を差し出された。フライドチキンのチェーン店の袋と、それからホールケーキの箱。何ですか、これ? と問いたかったのに。

「来るのが一日遅いんですよ、あなた」

 思わず出てしまった拗ねた声に、何故か帝統は嬉しそうに笑った。