[ 幽霊さん ]


「最近、金縛りに遭うんです」
「金縛り……?」
 鸚鵡返しに呟くと、幻太郎は神妙な顔をして頷いた。
 相談があるんですと呼び出された時、俺は安さが売りのチェーン店で昼飯の牛丼を掻っ食らっていた最中だった。
 午前中の戦果が振るわなかったので、座っていた台に見切りをつけ、腹を満たして午後から仕切り直そうとしていた、そのタイミングで着信が入った。電話のやり取りなんて、俺が幻太郎に掛けることが殆どでその逆は全くない。何となく胸騒ぎのようなものを感じて、俺は午後の予定を変更し、幻太郎の家へ向かうことにした。

「お前霊感あったっけ」
「いいえ全く。事故物件に住んでいた頃でも、毎晩熟睡していましたよ」
 え、お前そんなところに住んでたの? と過去を掘り下げたい気持ちが一瞬湧いたが、気鬱な顔でお茶を啜る幻太郎に言葉を飲み込んだ。
 呼び鈴を押し、居間に通され、ちゃぶ台に乗せられた緑茶と茶菓子を俺が摘まんでいる間、幻太郎の表情はずっと浮かなかった。普段よりもずっと口数が少ない。
 幻太郎は結構おしゃべりな奴だと俺は思っているので、普段と様子の違う姿を見ていると、段々心配になってきた。

「眠れねえの?」
「そうですね、お陰ですっかり睡眠不足です。最近では執筆に支障を来すようになりました」
「マジか〜……。お前、一度寝たら絶対起きないタイプだから、寝れないのはしんどいだろ」
「はい。しんどくてしんどくて、もうどうしていいかわからないんです」
 湯飲みを両手で撫でながら、幻太郎が深い溜め息を漏らす。
 ぱっちりとした下睫に縁取られている目元には、濃い隈ができていて、気の毒になって思わず手を伸ばしてしまった。寝不足の眼を労るように撫でると、幻太郎の肩が揺れ、息を呑む音が聞こえた。

「いつからだ?」
「最初に気付いたのは……多分、今からふた月程前です」
「結構経つな。病院とかお祓いとか、行った方がいいんじゃねえの」
 触れた手を離すのが何となく惜しくて、目元を撫でた手を離せずにいたら、俺の指に頬擦りをするように幻太郎が顔を寄せてきた。まるで猫にでも懐かれているような気持ちになって、そわそわと落ち着かなくなる。
「ええ。そう思って、今日貴方を呼んだんですよ、帝統」
 そんな浮ついた俺の心臓に冷水をぶっかけたのは、何もかもを見通したような、幻太郎の真っ直ぐな眼差しだった。


「『彼』が現れるのはいつも真夜中なんです。小生が気持ちよく爆睡しているというのに、全く無遠慮にやって来て、まず唇に触れる。それが合図でした。初めて気付いた時には心臓が止まるかと思いましたよ。小生、一度寝たらよほどの事がないと目が覚めませんので、気付かなかっただけで、多分もっと前から『彼』は現れていたんだと思います。
 見たところ、彼と小生は背丈がほとんど変わらないようでしたし、その気になれば殴ってでも蹴り飛ばしてでも追い払える筈なんです。でもね、身体がちっとも動きやしない。金縛りにでも遭ったように固まって、なんにも抵抗できなくて、ただただ目の前で起こる出来事を見ていることしかできないんです、いつも。
 ――ああ、“見ている”と言うのは比喩ですよ。実際の小生は目も開けることができなくて、この身に起きている奇妙なふれあいが終わるのを、じっと待つことしかできないので。
 でもねえ、不思議とわかるんですよ。『彼』の顔立ちだとか、瞳の色だとか、髪につけている装飾まではっきりと、目を開かなくても解るんです。唯一わからないのは、『彼』が現れる理由なんですよね。毎日、寝ても覚めてもそのことばかり考え込んでしまって何も手につかないと言ったら、貴方は笑いますか」


「――ね、幽霊さん。たまには明るい昼間に現れてみませんか?」


 小生、起きている時に貴方に会いたいんです、と俺の手に指を絡めた幻太郎が微笑んだ。