[ いばら道 ]

※武士♂姫♀/血縁関係/死ネタご注意ください



 幻太郎とそういう仲になり、初めてセックスに及んだ夜の事だった。
 見慣れた幻太郎の寝室に、一組だけ敷かれた布団を見た途端俺の胸は更にざわめいた。今から始める行為が実感を伴ってきて、心臓が壊れるんじゃないかと錯覚するくらい落ち着きが無くなる。
 こんなんで俺、ちゃんと出来んのか……と動揺している間にも、幻太郎はローションやらゴムやら必要な物をてきぱきと棚から取り出し、それらを抱えて布団の上に正座をした。
「帝統、こっちに来てたもれ」
 手招きをされ、思わず俺も正座で幻太郎の正面に座る。照明を落とした薄暗い部屋でも、幻太郎が俺をじっと見つめているのが解った。視線の強さに思わず息を呑むと、思いがけない言葉が投げ掛けられる。
「――一応、僕の方でできるだけの準備はしておいたので、今夜は最後まで頑張ってみましょう」
「はっ?」
 目を丸くして、思わず反射で答えていた。
「え、俺が抱いていいの?」
 あまりにも自然に身体を差し出そうとする幻太郎に、俺は驚いた。
 男同士のやり方は知っていたが、どっちがどっちをやるかなんて話した事は記憶の限り一度も無い。今夜だって、ようやくそういう雰囲気にこぎつけたので、チャンスを逃したくなくて流れのまま寝室に来たものの、ここからどうすっかなと迷っていたくらいだ。
「貴方、ひょっとして抱かれる方が良かったんですか?」
「げェ、まさか。俺、自慰の時はいっつも頭ん中でお前抱いてるし」
 首を思い切り横に振ると、幻太郎の顔がパッと赤くなる。かわいーな、と見惚れていると幻太郎が軽く咳払いをした。
「それなら、今夜はこのままでいきましょう」
「俺は嬉しいけど、お前はそれでいーの?」
「構いませんよ。……だってえ〜妾は、帝統殿の姫ですもの」
 突然高くなった声と女のフリは、きっと幻太郎なりの照れ隠しだった。出会って間もない頃に語られた、作り話をなぞった演技。
 俺が武士で幻太郎が姫で、二人は前世で結ばれなかった恋人同士だと嘯く幻太郎を思い出す。初めて聞いた時は鳥肌が立ったけれど、今の俺はただ胸が締め付けられるだけだった。
 呼吸のついでのように生まれる幻太郎の作り話は数え切れないほどあって、本人だって一つ一つの内容を深く考えてはいないだろう。俺だって思い出したのはつい最近だ。ポッセに入り、幻太郎と密に過ごすようになってから感じ始めた違和感の正体が、前世からの縁だったなんて誰が想像できるものか。
 幻太郎は、多分何も覚えちゃいない。軽々しく武士だの姫だの口にできるのがその証拠だと思った。コイツにとっての俺は、武士でも何者でもない、変人でギャンブラーでそして夢野幻太郎の恋人なんだろう。
 それが嬉しかった。望んでも手に入れられなかったものを、俺はようやくこの手に掴めたんだと、安堵できたから。


 ***


 遠い昔の俺は、好きだと告げて、同じ気持ちが返ってきた事は一度も無かった。
 人目を忍んでは繰り返し気持ちを伝える俺に、アイツが返してくれたのはいつだって呆れたような溜め息と、うんざりした顔ばかりで。
『迷惑だって何度言えば解るんですか、帝統。貴方と話していると、まるで動物と対話してるみたい。私の話をまるで理解しないんだもの』
『いやいや、俺が動物ならお前もそーだろ。同じ親から生まれたんだから』
『――解っているなら口を慎みなさい。貴方の戯れ言は、姉として許せる範囲を超えているわ』
 物心ついた時から俺は一人の女しか見ていなかった。あまりにも近くにいたから、抱いた気持ちの正体に気付いたのは姉の祝言が決まった後という間抜けさだったが、それでも自覚した想いが揺らぐことは決してなかった。
 姉の嫁ぎ先も、いつか他の男の物になる未来も、俺の気持ちには関係無かった。ただただ好きだったんだ、あの存在が。だから来る日も来る日も馬鹿みたいに傍にいて、気持ちを囁いた。俺にはそれしかできなかったから。
 くさくさした気持ちを晴らす為に賭場に通いもしたし、それで随分心配をさせたことも知っている。口では邪険にしながらも、アイツはいつも俺のことを一番に気に掛けていた。それが家族としての情なのか、それ以外のものなのかは最後まで解らなかったけれど。
 俺達の今生の別れは、アイツの輿入れの日だった。嫁ぎ先に向かっていた舟から、姉が落水したとの報せを受けて以降の記憶が俺には無い。ただ、本心では祝言を望んでいなかった姉の選んだ道を見た気がしていた。


 ***


「ちょっと、帝統、重いんですけど」
 正座で俺と対面していた幻太郎の背中が、鋭角までしなったところで、ようやく抗議の声が上がった。
 ぎゅううと遠慮無く抱きついていた俺は、そこでようやく幻太郎から離れる。
「わりぃ、色々噛みしめてた」
「……緊張してるんですか?」
「それもあるけど。幻太郎、俺を選んでくれてありがとな」
 素直に告げると、幻太郎の猫のような丸い瞳がぱちぱちと瞬きをした後、柔らかくとろける。
「そうですねえ。まさか変人ギャンブラーとこんな事になるとは思いもしませんでしたけど、ま、それはお互い様ですよ。小生を選ぶなんてやっぱり貴方、変わってますね」
 今更後悔しないでくださいねとくすくす笑う幻太郎に、俺は堪らなくなってキスをする。
 後悔なら狂う程にした。お前を守れなかった事も失ってしまった事も、ただの記憶なのに胸が潰れそうなほど今でも悔やんでいる。
「俺、お前のこと離すつもりねえからな」
 やわらかく温かい唇に寄せた言葉は、俺の本心だった。俺は幻太郎を今度こそ離さないし、今の俺達なら離れずに済む。血の繋がりを気にせず溶け合える関係を、幸せだと思った。