[ マイ・スイートホーム ]


「それでは乱数、帝統、行ってまいりますね。お土産楽しみにしていてください」
 いつになく素直な言葉と明るい笑顔で、幻太郎は旅立っていった。
 一週間の温泉旅行は、幻太郎が随分前から嬉しそうに準備していたものだった。長年闘病していたダチがめでたく病を克服し、退院してリハビリに励み、ようやく人並みの生活が送れるようになるまで待って、そりゃあもう幻太郎は健気に支えて待って、そしてお互いへのご褒美としてこの旅行を計画したらしい。何だそりゃ。お前ら仲良すぎじゃねえの。四捨五入すりゃアラサーのおっさんなのに、ベッタベッタと友情育みやがって。
「帝統、顔こわあい」
 快速列車に乗り込んだ幻太郎とダチにひらひらと手を振りながら、ぼそっと乱数が呟く。俺は不必要に愛想を振りまく事はしないが、わざわざ旅行の見送りに行く程付き合いのあるダチと、そのオトモダチに向ける顔では、確かになかった。自覚はある。
「うるせえ、俺はいつもこんな顔だよ」
 新幹線で一時間半の温泉街に、わざわざ列車で倍の時間を掛けて向かうのが何かもう、気にくわない。旅路も旅行の内だからねと、相好を崩す幻太郎が面白くなかった。へええー、そう。あっそ。好きにしろよ、一週間でも一ヶ月でも楽しんでこいや。
 ――そう、本気で思っていたのに、いざ列車の発車音がホームに鳴り響くと、胸に押し寄せたのは素直なさびしさだった。これから七日間幻太郎がいない。
 一緒に暮らしている訳でもなければ、根無し草な生活をしている俺にはもっと長い期間、幻太郎に会いに行かない事もあったが、俺の手の届かない場所に幻太郎が行ってしまうのは初めての経験だった。
 遠ざかる列車を見るのが嫌で、俺はくるりと背を向けてホームを後にする。
 発車寸前に幻太郎がこっちを見た気がしたが、それは都合の良い思い込みかもしれなかった。


 ***


 幻太郎が帰宅したのは、それからきっかり一週間後の夕方だった。
 土産を渡したいと呼び出され、乱数と共に久し振りに足を踏み入れた畳の部屋には、片付け途中のスーツケースや土産の山やらが、部屋の片隅に追いやられている。人前ではきっちりしていて隙を見せない幻太郎にしては珍しいな、と思った。急ぐものでも無し、土産なんていつでもいいのにと考えていたら、
「帝統、乱数」
 背中から声を掛けられた。一週間ぶりの幻太郎の声だ。振り向いて、お帰りと言おうとした俺の声は喉元で止まった。
「いらっしゃい。お呼び立てしてすみません、今お茶を用意しますね」
「幻太郎おっかえりー! 旅行楽しかった?」
「ええ、お陰様で。あのまま定住しようか悩んだくらいには」
 部屋着にしている浴衣の袖を口元に当てながら、白々しい言葉を零す幻太郎に俺は目を丸くした。振り向いて、目が合った一瞬に見たものに息を呑む。俺を見て幻太郎の瞳がぱっと輝いた、ような気がした。それが、旅行に出掛ける時の浮き足だった顔よりもずっと嬉しそうに見えたのは、見間違いだろうか。
「あはっ、幻太郎ってば嘘ばーっかり。僕達のシブヤが一番に決まってるでしょお」
「いえいえ、伊香保はなかなか素晴らしい街でしたよ」
「でも帝統がいないじゃん」
 げんたろーは帝統が居ないと駄目だからねー、と続いた乱数の声に俺は固まった。思わず横を見ると、幻太郎も同じようにぴしりと固まっている。
「帝統に一週間会えなくて、寂しくて仕方なかったんだよね。毎日連絡来るんだもん。連絡が取れないんですが帝統はどこですか、ちゃんと三食食べてますか、服は着てますか、風邪引いてませんか、乱数あなたちょっと様子を見てきてくださいよ、って。毎日毎日ほーんと、しつこ」
 笑いながらぺらぺらと、俺の知らない二人のやり取りを暴露する乱数の口を幻太郎ががばりと塞いだ。
「ら、乱数、嘘はいけませんよ嘘は。それは小生の専売特許です」
「照れなくても大丈夫だよお。帝統はね、この一週間、幻太郎に置いて行かれてずーーっと拗ねてたんだから。ちょっとくらいサービスしてあげないと可哀想でしょ」
「乱数、テメ、適当なこと言ってんじゃねー!」
 突然槍玉に挙がった俺の名前に慌てると、隣で幻太郎が、え、と息を呑んだ。くるりと俺の方を向いた真っ赤な顔と視線が合う。オイ。……オイ、待て、待て待てなんだその表情は。やめろ、そんな顔で見るんじゃねえ、俺までつられちまう。
「げんたろー、お土産ってコレ? 貰ってくね、ありがと! 僕オネーサンと予定あるから、今日は帰るね〜」
 見つめ合って固まる俺と幻太郎を放置して、乱数は用事を済ませるとあっさり出て行ってしまった。玄関が閉まる寸前、ごゆっくり〜い、ときゃらきゃら笑う愉快犯の声が聞こえたが、今の俺は腹も立たない。現状をどうするかで、頭がいっぱいだった。
「帝統」
「な、何」
「あの、今夜の寝床は、ありますか」
 一週間分の土産話、聞いていきません? と問われ、俺は競馬場から持ち帰った内ポケットの札束に見ない振りをした。