[ 野良猫とホスト ]


 僕と帝統がその場面に遭遇してしまったのは、全くの偶然だった。
 クライアントの都合でシンジュクに赴くことになった僕が帝統に同行を頼んだのは、大量のサンプルのための荷物持ちと、ディビジョンバトルでの軋轢を用心してのことだ。因縁をつけて絡んでくる輩がいないとは限らないし、そもそも大嫌いなアイツのいるこの街なんて一秒でも長居したくない。さっさと退散するのが最良と思い、仕事は最短で終わらせた。
 そうして足早にシブヤへの帰路を進んでいたのに、見てはいけないものを見てしまった僕達の足は、硬直せざるを得なかった。
 目立つのを避けるため、大通りから一つ裏の通りを選んだのが間違いだったのか。偶然すれ違ったのは、スーパーの買い物袋を下げて昼時のシンジュクを歩く、麻天狼の伊弉冉一二三だった。
 その隣にぴたりと寄り添いながら、一緒にマンションのエントランスに入っていったのは、伊弉冉一二三と同居している同じく麻天狼のリーマン――ではなく。
「……うわあ」
「…………は?」
 僕らフリングポッセのメンバー、夢野幻太郎だった。
 一拍遅れて呆然と呟いた帝統は、可哀想に、紙のように真っ白な顔色で眼前のマンションを見上げている。
「へえー、すごいや。シンジュクナンバーワンって肩書き、あながち嘘じゃないのかもね」
「…………」
「こんな立派なマンションに住んでるなんてさ」
「…………」
 住所不定・公園のベンチが定宿な帝統の顔色は白から青へと変わった。二人が消えたマンションのエントランスを、口を開いたまま呆然と見つめている。
「一緒にいたの、幻太郎だったね〜」
 そこでようやく帝統は、ポケットからひったくるように携帯を取り出した。荒々しく画面に指を走らせて恐らく幻太郎に電話をかけている。……のはいいけれど、焦っているせいかグループ通話を選択してしまったらしい。僕の携帯まで着信をキャッチして震え始めてしまった。
「帝統ぅ、ちょっと落ち着きなよ」
「クソ、何で出ねーんだよアイツ」
「ホストの部屋でよろしくしてるからじゃない?」
 わざと煽るような返事をすれば、画面を見つめていた帝統の首が僕の方をぐるんっと向いた。
 目が完全に据わっていて、普段の幼さや愛嬌はどこへやら、とても二十歳がしていい顔じゃあない。お前はポッセの可愛い可愛い末っ子なんだから、そんな怖い顔するのはヤメテホシイナー。
「乱数は平気なのかよ」
「何がー?」
「幻太郎がシンジュクの奴らとつるんでて、何とも思わねぇのか」
「バトルに私情を挟まなければ問題無いよ。ポッセは自由恋愛オッケーでーす。帝統だって、そんな事いちいち気にするような性格じゃないでしょ」
「しねーよ」
「じゃあいいじゃん、早く帰ろ」
「しねーけど……げんたろーはダメ」
 むすっと拗ねた顔で俯いた二十歳に、僕は吹き出しそうになった笑い声を慌てて飲み込んだ。
 ええー、可愛い! 素直! と、僕には到底真似の出来ない裏表の無さにいっそ感動を覚える。面白いからもう少しからかおうかと思っていたけれど、仕方が無い。
 帝統の素直さに免じて、僕は幻太郎を呼び戻す為、携帯のメッセージアプリを開いた。



「ゆめのっちー。忘れ物ー」
「その呼び方今すぐ止めてくれません?」
「こっちがオススメの料理アプリでー、」
「人の話を聞けよホスト野郎」
「こっちが動画のアカウント〜。わざわざメモってあげてる俺っち、優しくね?」
「ああハイハイありがとうございます、すいませんねえ折角の料理教室をドタキャンする生徒で」
「べーっつに。かれぴが大変なんしょ? そういう時は早く帰んねーと」
 渦中の男に見送られながらエレベーターから降りてきた幻太郎は、渡されたメモを受け取って少しだけ口をもごつかせていた。多分あれは御礼を言っているんだろうなと、唇の動きを読みながら僕は推測する。
 会話の内容がわからない帝統は、苛々した顔で足を踏み鳴らしながら二人を見つめていた。幻太郎がマンションから出てくるのを今か今かと待つ姿に、僕はやっぱり笑いを堪えきれなくなる。
 本当は数日前に、幻太郎から連絡を受けていた。曰く、麻天狼の伊弉冉一二三と近々会う約束をした、やましいことはないが報告しておきます、と。
 口を挟むつもりはなかったけれど、興味本意で理由を尋ねれば幻太郎はあっさりと口を割った。一二三氏は料理の腕がたいそう立つそうなので、教わりたくて、と。
 察しの良い僕は思わず苦笑した。
 ああー……そうだね、幻太郎、イメージと違ってあんまり家庭的じゃないもんね。それなのに帝統っていう野良猫が居着くようになっちゃったものだから、美味しいご飯を食べさせてあげたくなったんだろうなあ。
 そう納得して、快く了承してあげた時は、まさかこんな形で遭遇するとは思ってもみなかったけど。

 伊弉冉一二三と別れ、マンションから出てきた幻太郎は数歩も歩かない内に帝統に捕獲された。
 無言でズカズカと歩み寄り、幻太郎の頭を両手で鷲掴みにした帝統が、ふわふわの髪に指を突っ込んでわしゃわしゃと掻き回す。突然の出来事に目を丸くして硬直する本人は放置だ。
「濡れてねえ……」
 ホッとした声で呟き、今度は肩口に鼻を寄せた。
「石けんの匂い、しねえ……」
「え、何のチェックですか、これ?」
 事情を飲み込めていない幻太郎が、戸惑った顔で帝統を見つめる。
「って言うか、賭場で身ぐるみ剥がされて泣いている筈のあなたが、何故ここに……」
 僕が送ったメッセージは、多少脚色したものの嘘を書いたつもりはなかった。
 できるものなら時間を巻き戻して、幻太郎が出てくるのを待つ間、ずっと不安そうに揺れていた帝統の目を見せてやりたい。たいして美味くない料理でも居着いた野良猫なんだから、家を空けて料理の腕を磨くより、たくさん構ってあげるほうがよっぽど嬉しいに決まってるのにねえ。