[ 明かりを落として待っていて ]


 今日という日を迎えるまで、もうずっと、ジェットコースターに乗っているような気分でした。上昇からの下降が激しい。ようやく一息吐けたかと思えば、今度は回転だの捻りだの超高速のスピードだのに振り回される。
 恋とは難儀なものだと、つくづく思います。何の因果か、うっかり好き合ってしまい、うっかり思いを通じ合わせてしまった小生と帝統の、ファーストインパクトがとうとう訪れてしまいました。
 本日七月七日は、有栖川帝統の誕生日です。つまり小生の、え〜〜、え〜〜っと、恋人の誕生日です。
「…………恋人」
 ボソッと呟いた独り言に、思わずちゃぶ台を投げ飛ばしたい衝動に駆られました。甘ったるい響きに、全身をぞわりと得体の知れない熱が覆います。帝統とお付き合いを始めてからは何もかもが未知数で、原稿用紙の中ではすらすらと書き連ねることのできた恋人という単語にすら戦いてしまう。
 友人でさえろくに存在しなかった小生なので、恋人となるともはや宇宙人でした。地球外生命体の誕生日と言われても、一体どうやって祝えばいいんでしょうか。
 ダチの帝統ならば簡単です。同じ立ち位置の乱数がいるのですから、彼に音頭を取って貰えばいい。でも、恋人の帝統となると話は上手く転がりませんでした。帝統に他にも付き合っている人がいれば参考にできたのでしょうが、現状お付き合いをしているのは小生だけで、前例も無いと言われるともうお手上げでした。色んな意味で。
 この数ヶ月、参考事例の無いまま手探りで考え続けました。何を贈ればいいか以前に、そもそも祝っていいのだろうかと、悩みはそこから始まります。
 白状すれば祝いたい。一ヶ月前から張り切って準備して、モノでも体験でも何でもいい、とにかく帝統をあっと驚かせるような、彼が笑顔で一日を過ごせるような、そんな時間を作りたかった。帝統にもっと物欲があれば、それこそ彼の生まれた年から今までの分のプレゼントを用意することだって厭いません。「幻太郎って重いよね〜!」と乱数に笑われた通り、小生、愛が重いタイプなんです。
 だから滅茶苦茶祝いたい。全力で祝いたいんですけど……あの男、絶対そういうの興味ないんですよね〜〜わかります〜〜。気合い入れまくって部屋中をデコレーションとプレゼントで埋めた小生を、内心ドン引きしつつ、でも根っこは優しいから「ありがとな」って言うんでしょ。引きつった笑顔で。
 モノを持たず、身軽に生きる事を最良だと思い、その身一つでギャンブルに打ち込む帝統に贈れるものなど何もないのだと本当はわかっていました。MCネームのように単純な帝統の好きなものなんて一つきりです。ギャンブルさえあればいい。でもその分野に関して、小生は踏み込むことは出来ない。
 詰んだな、と思い、小生は諦めることにしました。何もしないなんて愛の重い自分にはなかなかの苦痛でしたが、祝わないことがお祝いなのだと言い聞かせて、もしも当日、帝統が家に来たらちょっとだけ豪華な食事を出そうと決めました。それに、賭け事に夢中で案外自分の誕生日なんて忘れているかもしれない。当日は顔を合わせずに終わる可能性もあるなと思い至って、少し気が抜けた心持ちで、七月七日を迎えていました。

 だから、夜更けに突然インターホンが鳴り
「幻太郎〜、開けてくれ〜!」
 と耳慣れた声が聞こえた瞬間、思わずヒッと叫んでしまいました。
 (え? 来た? 何で?!)と狼狽えながら壁の時計を見ると、時刻は二十三時半。帝統にとっては遅い時間でも何でもありませんが、食事を強請るには遅く、寝床を借りるには早い時間でした。もう今日は来ないだろうと油断していた小生は、冷や汗を流しながらおそるおそる彼を迎え入れます。
「よお、上がっていーい?」
「……どうぞ?」
 おや、と違和感を覚えました。帝統はこの家を訪れる時大抵、腹へったー、だの、眠ィー、だの、何が目当てなのか丸分かりな言葉を口にするのが常なのですが。
 頭のてっぺんからつま先までサッと視線を走らせても、服は欠けていないし目の下に隈が出来ているわけでもない。何しに来たんだ、こいつ、と内心首を傾げながら部屋に招き入れました。
「今日忙しかった?」
「ええ、まあ。積んでた本を読み終えるのに一日中邁進していましたよ」
「あー……そっか」
 帝統の誕生日なので、仕事はオフにすると決めていました。祝わないと決めていたので特にやることもなく、今日したことと言えば、彼が主人公の作品に役立ちそうな資料を読みあさったり、近所の神社で帝統の健康祈願をしたくらいでしょうか。
「な、な〜、げんたろ」
 歯切れの悪い声が、少し躊躇った後おそろしい言葉を口にしました。俺今日誕生日なんだけど、と。
「知ってた?」
「ええ、一応」
 澄ました顔で答えたものの、湯飲みに茶を注ぐ小生の指は震えていました。
 え……何。アピールしてきたぞこの男。自分の生まれた日、滅茶苦茶自覚してるじゃないですか!
 計算の狂った小生の頭は混乱し始めました。何となく場の空気が重くなった気がして、取り繕う言葉をああでもないこうでもないと、引ったくるように探します。その間に帝統は、そっかー、知ってたかー、ハハハ、と乾いた笑いを浮かべ。それから、青ざめた顔でトドメの一言を呟きました。
「もしかして、お祝い、ねえの……?」
 その瞬間ゴトリと硬い音がしました。持っていた急須を、小生がちゃぶ台に落とした音です。
 頭の中はもう真っ白でした。座卓に零れるお茶は視界に入らず、こちらをじっと見つめる帝統から慌てて目を逸らすので精一杯でした。やめろ、やめてくれ。そんな捨てられた猫みたいな目で俺を見るな。
 今すぐに渡せそうなプレゼントは、と考え一瞬財布から万札を取り出しかけましたが、すぐに違うと気付きました。多分それをやったら帝統の顔はもっと歪む気がする。じゃあ即興で短編小説でも――と閃いたものの、小生推しが絡むと途端に遅筆になるから、これも駄目。
 悩んでいる間にも、帝統は目に見えて落ち込んでゆきました。小生の動揺など知らない彼は、不意に立ち上がり出て行こうとします。
「ヘンなこと言ってごめん。突然来て悪かったな」
 殊勝な態度を取られ、胸が張り裂けそうになりました。散々悩んだ結果が帝統のこの表情だなんて、あまりにも自分が情けなくて悔やまれます。一人で悩まず本人に聞くべきだった……と後悔しながら、玄関へ足を向ける帝統を慌てて引き留めました。
「しょ、小生を差し上げます!」
「え」
「プレゼントは小生です」
「何で」
 何でとは何だ、要らないのか?! と腹を立てるより先に、納得してしまいました。まあ要らないですよね〜〜、こんな凡庸で芸のない発想、小生だって言われたら引きますよ。そう内心頷いていたのに。
「俺のモンじゃなかったの……?」
 有栖川帝統(ハタチ)怖い、と思いました。血迷った小生の言葉を正面から受け止める純粋さに、思わず顔が赤くなったのを自覚します。普段はお互い束縛の欠片も見せませんが、根っこの部分は意外に複雑なのかもしれない。そう思いながら小生、財布を掴んで立ち上がりました。
「まだ貴方のモノじゃありません。出掛けてきますから、留守番お願いします……!」
 狼狽える帝統を置き去りにし、取るものも取りあえず駆け出しました。一番近いドラッグストアを、頭の中に浮かべながら。

 財布を握りしめ、下駄を鳴らして夜道を歩きながら、置き去りにしてきた帝統に一抹の不安を覚えました。彼が最後の言葉の意味を、ちゃんと理解しているといいんだが。
 こんな時間に、寝間着同然の浴衣姿で避妊具とローションだけを買う恥辱、お前のためでなければできないよ。