[ 0章 星が泣いている ]


 雲ひとつない澄んだ夜空に紫煙がぷかり、と漂った。煙管を吸うのはそう久し振りでもないのに、随分と懐かしい味がしたのは何故だろう。
 小さな鉄格子から僅かに見える夜の闇には、無数の星が瞬いていた。俺の見張りにつけられた看守が暇そうに零していたのを思い出す。今夜は流星が流れるとの占者のお告げが出たと、街で噂になっているらしい。平和が浸食してきているのを実感した。流星群なんてそんな、腹の足しにもならねえようなモノの動向が、船乗りでも旅人でもねえ市井の人間の口に上っているのか。ああ、それは……あいつの苦労が実を結んできたのか……脳がそう理解した瞬間、瞳が潤むのを感じた。
 瞼を力任せに擦り、涙を拭った。風呂にも入れず着たきりの布地は、あっという間に僅かな水分を吸って俺の涙など初めからなかったことにしてしまう。
 抵抗した際にボロボロになってしまった服は王からの贈り物だった。こんなヒラヒラした着づれえ服いらねえよ、と照れ隠しに悪態を吐いたのを、まるで昨日のことのように思い出す。俺の本心なんて丸分かりだったのか、何も言わずににこにこと上機嫌だった顔に、胸が締め付けられる思いがした。
 オウサマ、なんて、俺にとってはずっとお飾りの呼び名だった。ずたぼろの救命艇で落っこちてきたあいつは、俺にとっては一国の王じゃなくただの拾得物、たったひととき旅路を共にするだけの仲間、放っておけない友人、時間の有り余る宇宙旅行の中でうっかり身体を重ねてしまった仲間、そのどれもであり、どれでもなかった。ただ一人愛した人間といえる存在だった。
 こいつの為ならば命を落としてもいいと思える程の男で、事実俺は、そいつの為に明日処刑される。


 望んだ道だったし、納得している結末だった。
 国の再建を果たしたら俺を伴侶にすると再三口にしていたダイスの言葉は、俺にとってゆるやかな死刑宣告だった。俺を伴侶にだなんて馬鹿げた未来を、あいつが心の底から願っているのが解っていたからこそ、俺は今甘んじて投獄されている。本気で想ってもらえたのなら、俺が今まで生きてきた意味はそれで十分だった。伴侶の座も、未来への未練も何もない。
 ダイスが同盟を結んだ星へ視察へ出ると、展開は早かった。以前から俺の存在を快く思っていなかった面々の襲撃を受け、ラムダを逃がすのが精一杯だった俺は呆気なく囚人となり、そうしてあいつが帰国する前に処刑される運びとなった。明朝、俺はひと目につかぬ場所で内密に処分されるらしい。暇を持て余した見張りがベラベラと漏らす情報を、他人事のように聞き流しながら煙管をふかし続けていると、紫煙の中にふと光が煌めくのが見えた。
 立ち上がって鉄格子に近寄ると、看守も気付いたのか、同じ方向に顔を上げている。音もない澄み切った夜空に一筋の光が流れると、それを合図に、まるで矢のように次から次へと星が降ってきた。暗い世界があっという間に光で埋め尽くされてゆく。占者なんて信じちゃいねえが、目の前に広がる光景に俺は思わず息を呑んだ。
 星を眺められるのも今夜が最後かと思うと、ふと、目に焼き付けておきたい気分になった。暗闇に点在する光が、俺達三人を結び付けた希望だったことを思い出す。生まれてからずっと、何のために生きているのかも解らないくせに、死ぬことが怖くて他人を犠牲にして生きてきた。泥を啜り罪に手を染め、そうして生き永らえた果てに俺はダイスとラムダを手にした。二人のそばにいられるほど立派な生き方はしてこなかったので、別れの覚悟は出会った時から胸に抱いていた。幸せな時間は長く続かないだろうし、そもそも俺には似つかわしくない。別れが少し想像より早かった、ただそれだけの話だ。

 目に痛いほどの光を眺めながら、ふと、ダイスの腕に抱かれているようだなと錯覚を覚えた。抜け出せない檻にいる俺を包む、無数の星の光に瞼が熱くなる。
 俺のメサイアを乗せたずたぼろの救命艇は、今思えば確かに、胸を貫くたったひとつの流星だったのだ。