[ 好きしか言えない ]


 シブヤで最も大きい書店のイベントフロアは、この日朝から大盛況を極めていました。
 時は二月、日付は十四日。乱数の誕生日でもあるこの日、我々フリングポッセは一冊の本を発売しました。今までの活動をデータにまとめ、ライブの写真を掲載し、乱数のファッションアドバイスや小生のコラム、帝統オススメの開運方法等を雑多に掲載した、いわゆるファンブックと称されるそれは、日頃我々の活動を応援してくださっているファンの方々へのバレンタインプレゼント≠ニいう広報のキャッチコピーや発売当日のサイン会の相乗効果で、重版に次ぐ重版となっています。
 その盛り上がりに触発された我らがリーダーこそが、この珍事の原因でした。

 長机を挟んだ正面に、ファンの方が現れます。机に山と積まれたファンブックにサインをし、手渡す際に口から出た言葉は、

「好きですよ」

 でした。
 小生の突然の告白を浴びた女性の足元は脆く崩れ、スタッフに介助されながら出口へと運ばれてゆきます。そうしてまた目の前に現れた次のファンの方へも、「好きです」とにっこりと微笑みながら本を渡すと、断末魔のような高い悲鳴が上がってやはりスタッフに連れられてゆきました。
 弁明させて頂きたいのですが、小生はちっとも悪くありません。これは、サイン会に落選したファンに向けた配信を昨夜行った際に起きたハプニングの遺物でした。

 三人でちょっとしたゲームを行い、最下位になった小生は罰ゲームを受けました。それ自体はよくある企画ですが、問題は罰ゲームの中身です。
 天使のような笑顔で乱数が取り出したのは、違法マイクならぬジョークマイクでした。
 ヒプノシスマイクを持たない一般人の間で、パーティーグッズのようなノリで流行っていると説明されたそれには、特定の言葉しか発せなくなる効果がありました。二十四時間で効果が切れるそれはぼちぼちその期限を迎えようとしており、好きとしか口に出来ない不便さにも慣れてしまっていて。
 こんな状態でサイン会かと気鬱に思っていたものの、いざ始まってみると、ファンの方の反応を眺めるのはなかなか興味深いものがありました。
 同じ好きという言葉でも、反応は百人百様でした。
 歓喜する、泣き出す、気絶する、固まる、得意気になる等様々で、正直めちゃくちゃ面白い。人間観察にもなるし、段々楽しくなってきてしまって、ちょっと遊んでみてもいいかなと、サイン会が始まって割と早い段階で小生は調子に乗り始めました。

「愛してます」
「お慕いしているでござる」
「恋い焦がれておりました」
「好きだにゃあ」
 などと矯めつ眇めつ試していると、どうやら告白に紐付く言葉ならある程度言えるらしいと判りました。
 サイン会に並ぶ方々はフリングポッセのファンだけでなく小生の読者も混じっており、老若男女それぞれに使い分けた対応をしつつその反応を楽しみます。小生は普段では体験できない反応を得られ、ファンの方も満足してくださり、まさしくウィンウィンというやつでしたが、暫くすると雲行きが怪しくなってきました。隣から、どうも強い視線を感じる気がする。

 ふと横を見ると、帝統が怖い顔をしてこちらをガン見していました。
 その治安の悪さときたらなかった。ここがサイン会の会場で、私達の前に並んで下さっているのはファンの方々ばかりで、乱数の列も小生の列も和気藹々としている中、帝統一人だけが異様に浮いています。
 おっかない視線は小生の列に固定され、手元を見ずにおざなりに書かれた帝統のサインは本からはみ出していて、それでも彼の列に並んだ賭博仲間と思しき男性方は、『ありがとなダイちゃん! これ売って今日のメシ代にするぜ』と満足して去って行きました。
 見かねた乱数が時折注意をすれば帝統は態度を一応は改めますが、暫くすると、何故かやはりこちらをじっと睨んできます。
 ええ、何、めっちゃやりにくいんですが……と困惑しながらもサインを続けていると、ふと喉の違和感が消えました。昨夜の罰ゲーム以降、喉に感じていた異物感がすうっと溶けてなくなった感覚に、スタッフへジェスチャーを送って、小生の列は休憩のため一時中断となりました。



「ああ、やっぱり」
 控え室に戻った小生は、鏡の前で安堵の息を漏らしました。
 喉からはするりと、思った言葉が言いたい通りに吐き出されます。壁の時計を確認すれば、罰ゲームから丸一日が経過していました。
 ミネラルウォーターで喉を潤しながら、そろそろ戻らねばと身支度を調えました。長い廊下をサイン会場へと戻りながら、普段通りの対応に戻すか、それとも喉がまだ戻らないフリをして遊んでしまおうか悩んでいると、パーテーションをひょいと覗き込んだ小生は思わず目を丸くしました。
 何だあれは、と固まっていると、こちらに気付いた乱数がてててと可愛らしい音を立てながら近付いてきます。

「あはっ、げんたろー驚いてるぅ」
 そりゃそうですよ。
 小生の列の最前で待っていたのが、何故か先程まで隣で同じようにサインを書き殴っていた帝統なんですから。

「俺も並ばせろって言い張って聞かなくてさー。でも、帝統の列は全員終わったから問題ないよねっ」
 呆気に取られて帝統を指差す小生に、乱数はにこやかに経緯を説明してアッサリと自分の席に戻ってしまいました。
 小休止から戻ったら、何故かチームメンバーがファンの立ち位置に居た光景に一瞬思考が停止しましたが、仕方がないので列へと向かいます。
 帝統の真意は謎ですが、大方小生のサイン本を高額で売り飛ばそうといったところでしょうか。こうなった以上、喉が戻った事は種明かしするしかありませんねぇ。そう溜め息を吐いて、口を開こうとした瞬間、

「言えよ」
 と不機嫌な声に出迎えられました。
 腕を組み仁王立ちをして待っていた帝統の高圧的な態度に呆気にとられていると、彼は焦れた様子でもう一度、

「さっさと言えって、俺にも」
 と迫ってきました。
 その気迫に押され、白状するタイミングをなんとなく逃してしまった小生は、混乱した頭でサインをしたためた後、無言で彼にサイン本を手渡しました。ですが彼は頑としてその場から立ち去ろうとしません。
 ぐいぐいと本を押しつけているのに受け取ろうとせず、スタッフは困惑し、そして小生も当惑していました。
 一冊じゃ足りないと言いたいんだろうか。それなら後で沢山書いてあげますから、と宥めようとして、彼と目が合い思わず息を呑みました。
 普段の明るさは火が消えたように潜められ、帝統の眼差しにはただ悲しさと焦りが滲んでいて。逸らされることなくじっと見つめられていると、徐々に熱が上がり顔が火照るのを感じました。
 穴が開くほどの視線を受けながら、小生の口から思わず漏れたのは、嗜めの言葉でもなければ先程までのお遊びの対応とも違っていて。

「だ……」
「だ?」
「大好きです、…………帝統」

 喉を滑った無意識の言葉に、帝統の目が丸く見開かれました。
「ハ?」
 ……いや、何なんですかその反応。言えって強請っていたの、もしかしてこれじゃなかったんだろうか。
 ソワソワとした気持ちで居心地悪く帝統と見つめ合っていると、乱数の朗らかな声が会場に響きます。

「あれっ? 帝統の名前呼べるってコトは、げんたろー元に戻ってたんだね!」
 顔が赤いけど大丈夫? と横から飛んできた労りが思いやりになっていないと感じたのは、乱数がにやついた顔でこちらにスマホを向けていたからに他なりませんでした。