[ eternity bell ]


『それで、乱数は何時頃になりそうですか?』
 スマホの画面越しに至極当然といった体で問い掛けてきた幻太郎に、ボクが回答を躊躇ったのは一瞬だった。
「ええー、ボクは行かないよ。今夜はオネーさんと約束があるもん」
 動揺を悟られないよう直ぐに取り直したものの、目敏い――いや、耳聡い幻太郎は呆れを滲ませた声で冷静に論破してきた。
『特定の相手は作らない飴村乱数に、大晦日を共に過ごす女性はおりませんよ』
 失礼だけど的を射ている推察に、ボクは再び言葉に詰まってしまう。その僅かな一瞬で、スマホ越しに幻太郎と帝統のやり取りが聞こえてきた。『乱数なんだって?』『やっぱり来ないつもりだったみたいです』『うげっ、じゃあ俺の負けかよ!』
 ……まさかこいつら、俺の反応を賭けのネタにしてたのか? と疑ったボクの無言をどう捉えたのか、幻太郎は淡々と告げてきた。
『事務所は何時頃撤収するんです?』
「えっと、もう殆ど終わったから、あとは戸締まりくらいかな」
『了解しました』
 それだけを告げて、通話はぷつりと断線された。一方的に切られたボクは一瞬ぽかんと呆けた後に、すぐにソワソワと落ち着かない気持ちになる。了解って何?! と、ヤな予感が胸を過った。
 大晦日の昼中に、作業通話と称して電話を掛けたのはボクの方だった。無事に仕事は納めたものの、ぐっちゃぐちゃに散れていた事務所を一人で綺麗に片付ける時間がなんとなく寂しくて、そして年内はもう二人に会うことはないんだと思うと、急に幻太郎と帝統の声が聞きたくなってしまった。まず幻太郎に電話を掛けると案の定二人は一緒で、幻太郎の家の大掃除の真っ最中らしかった。
 他愛ないお喋りを交わしつつ互いに掃除をこなして、そろそろ電話を切ろうかと思っていた頃合いだった。『それで、乱数は何時頃になりそうですか?』と幻太郎が尋ねてきたのは。
 その質問は今日だけじゃなく数日前から何度も問われていて、その度にボクは答えをはぐらかしていた。確かに去年までは三人で年の瀬を過ごしていたけれど、今年はそうはいかないじゃんって思っていたからで――だって幻太郎と帝統は、少し前から恋人同士に関係が変わっていた。
 付き合ってから初めて過ごす年末に、いくらポッセとは言えボクが混じるのって野暮だよねぇと、今年は当番医じゃなければ寂雷か、連絡が取れれば華灯に会いに海外へ行って過ごすつもりだったんだ。でも結局二人ともダメで、一人で過ごしていた寂しさに負けて声だけでも……と幻太郎と帝統に電話をしてしまったボクは多分墓穴を掘ったんだと思う。突然切られた電話の後、慌てて事務所を施錠し始めたけれど、ボクが事務所を出るより先に嫌な予感は当たってしまった。
「迎えに来たぞー、乱数」
 無遠慮に開かれた扉を背に、帝統が立っている。その首元には見覚えのある幻太郎のマフラーが巻かれているが、事務所にやって来たのは帝統だけのようだった。
 帝統だけなら、本当はいくらでも手立てはあったんだと思う。幻太郎と違って騙されやすいんだから、上手く言いくるめて追い返せば、帝統と幻太郎は二人きりで大晦日を過ごせる筈で――でもボクの口からは帝統を誤魔化す言葉は結局出てこなくって、手を引かれるままに帝統と一緒に幻太郎の家へ向かってしまった。ああ、野暮だなぁ、ボクがいても邪魔なのに、と思いながらも、帝統の手があんまりにもあったかくて。振り払う気持ちには最後までなれなかった。


「お前、迎えに行くついでにドーナツ買ってこいって言ったの、こーゆーコトかよ?!」
 夜も更けてきた頃、夜食にと定番の年越し蕎麦を幻太郎が持ってきた瞬間、帝統の悲鳴みたいな声が上がった。三人で囲んだ炬燵の上には、それぞれトッピングの違うあったか〜い天ぷら蕎麦が並んでいる。幻太郎の前には紅ショウガ、ボクの前には山菜のかき揚げ、そして帝統の前にはドーナツをドーナツしたものが、お蕎麦が見えないくらい山盛りに乗せられていた。
「わー、凄ぉい! 愛妻料理じゃん、帝統」
「どこがだよ! 嫌がらせだろ、コレ!」
「帝統はん酷い……っ! わっちが愛情を込めて揚げた手料理なのにっ……!」
 どう見ても悪ノリとしか思えない幻太郎の芝居がかった声に、帝統はぐうっと口を閉じてしまった。目元を押さえてしな垂れた幻太郎を、ちら……と気まずそうに見た後、恐る恐るといった様子でドーナツの天ぷらに箸を伸ばす姿が面白すぎて、ボクは必死に笑いを堪えながらスマホの録画ボタンを押す。けれど肝心の幻太郎本人が耐えられなかったようで、帝統がドーナツを口に含んだ瞬間吹き出してしまっていた。
「やっぱお前からかってるだろ?!」
「あ、バレました?」
「帝統かーわいー、幻太郎に頭上がんないじゃん」
 スマホのカメラを向けながら笑うボクに、むすうっとした表情で天ぷらを咀嚼しながら帝統が顔を背けた。反論しないところから察するに、図星だったんだなとわかって愉快な気持ちとちょっぴりの申し訳なさが胸に湧く。
 もしボクがこの場にいなければ、二人の間に流れる空気はもっと親密なモノになっていただろう。もしボクがこの場にいなければ、二人の過ごす大晦日の夜はきっと全然違う思い出になっていた筈で――。
 録画を停止しながら、ボク何でここに居るんだろうなぁーと、何度目かの溜め息が漏れていた。


 日付が変わるまであとちょっとのタイミングで、ボク達は身支度を整えて幻太郎の家を後にした。元旦は家でのんびり過ごしたいと希望した幻太郎と、願掛けは外せねぇ! と主張した帝統の間を取って、初詣は近所の神社で夜中に参拝しようという話になり、深夜のシブヤを三人で並んで歩いている。ボクを真ん中に挟んで、帝統と幻太郎はそれぞれ両端という配置にボクは内心やきもきしていた。
 二人が付き合い始めるまではこの並びでいる事が多かったから、バランスが良いのもしっくり来るのも理解はしている。でも、仮にも恋人同士の幻太郎と帝統の間に収まってるボクって何なの?! って気持ちが消えないのも事実だった。
 そもそも、家を出る前に客間に布団を並べていた幻太郎が、当然のように三組の布団の真ん中にボク専用の枕を置いていた事にもボクはやきもきしている。さり気なく端が良いなぁと希望したものの、理由を問われて上手い口実が思いつかずにまごついている内にボクの希望は却下されてしまった。幻太郎曰く、中王区に追われていた頃の名残で帝統と自分でボクを囲んでいないと不安で寝付きが悪くなるらしい。そうまで言われてしまうと野暮な自分より嬉しさの方が勝ってしまって、結局真ん中で寝ることを快諾してしまった。これ、クリスマスの時と同じパターンじゃない……?! って気が付いたのは、家を出る段階になってからだった。ちなみにボクは一週間前のクリスマスも、同じように三人で過ごしている。

 点在する外灯を頼りに、神社までの道のりを歩く。目的地が近付くにつれ、段々すれ違う人の数が増えてきて、スマホを見ると日付が変わるまで三分を切っていた。
「知っていますか、帝統」
「あ? 何だよ急に」
「除夜の鐘と同時に参拝の鈴を鳴らした人間は、福男としてその年の御利益が何倍にも跳ね上がるそうですよ」
 すらすらと吐かれた幻太郎の今年最後の嘘に、帝統の耳はわかりやすく反応した。スマホで時刻を確認して、焦った声を上げる。
「おっ、お前、そういう大事な事は早く言えよ! あと二分しかねーじゃねーか!」
「すみません、今思い出したもので。そういう訳ですから乱数、急ぎましょうか」
「えっ」
 白々しく答えたかと思うと、幻太郎はボクの手を取って夜の道を駆け出した。思わずたたらを踏んだボクの身体を器用に支えながら、帝統を置いてきぼりにして煌々と輝く神社へと走る。
「ちょっとげんたろー、それってウソなんだよね?」
「勿論。でも、帝統を騙すなら全力を尽くした方が面白いでしょう」
 小声で囁いたボクにしれっと返した幻太郎は、背後を指差した。振り返ると、一拍遅れた帝統が本気の焦り顔でこっちへ向かって全力疾走している。その姿に思わず笑い声を漏らしたボクだったけれど、幻太郎と手が繋がっている事にふと焦りを覚えた。指先が温かいなと感じたのは、ボクの手を引く幻太郎の方が体温が高いからで――。
「帝統の方があったかいよ?」
 繋ぐなら帝統の方がいいと言外に伝えると、優しい声音が返ってきた。
「そんなことはありませんよ。貴方が知らないだけで、乱数の手はとてもあたたかい」
 そんな筈はないのに、尤もらしく答えた幻太郎の言葉に顔が熱くなって、手にじわじわと汗が滲む。体温が上がったボクに、幻太郎が笑いかける。
「今年も沢山帝統で遊ぶとしましょうか」
 その瞬間ちょうど除夜の鐘が鳴って、ボク達は三人で新年を駆け抜けていた。悪戯っぽく笑った幻太郎の顔が眩しくて、鐘の音を背後に、ボクは御利益みたいな幸せが胸にじわじわと拡がっていくのを感じる。
 あんまり当然みたいに宣言しないで欲しい。そうじゃないと、ボクは期待してしまう。今年も、来年も再来年も、その先もずーっとこんな風に三人で特別な時間を過ごせるんじゃないかって、都合良く考えるようになってしまう。
「あーー、鳴っちまったああ」
 答えを返せず俯いてしまったボクの肩を、背後から強く掴んだのは帝統だった。呼吸を荒げながら、幻太郎のウソを真に受けた帝統は悔しそうにボクに向かって宣言する。
「乱数、次はもっと早く仕事終わらせとけよ! 来年はリベンジすんぞ!」
「来年ではなく今年では?」
 そうやって、二人揃って当たり前みたいに次≠言葉にしてくれるから、ボクの指先も顔もどんどん熱が点ってしまって。
 返事の代わりに、幻太郎の手をぎゅうっと握り返すのが、ボクに出来る精一杯の答えだった。