[ サンタさん ]


 幻太郎に子供がいるっつう噂がちらほら立ち始めたのは、公園で夜を過ごすのがわりと限界を迎えつつある十二月の半ばだった。
 最初にそれを知らされたのは乱数経由で、知り合いの女達にこぞって質問攻めをされて年末進行とやらがままならなくなった乱数が、「帝統どうにかしてよぉ」と俺に縋ってきた。「何で俺だよ」って返したら「ボクが知らないとでも思ってんの」と見透かされた口調で言われ、俺はわかりやすく返答に詰まった。
 乱数が匂わせた通り、俺と幻太郎は俺達が同性だという点を除けば子供が出来てもおかしくない付き合いをしていた。とは言え俺達は相変わらず気易いダチみてーな雰囲気のままで、変わったことと言えば、そこにセックスと俺の執着心が加わったくらいだ。乱数は言葉に詰まった俺をにやにやと眺めた後、「げんたろーが浮気するとは思えないし、まあどうせデマでしょ」と一人で結論付けていた。ディビジョンバトルに出場するようになってから根も葉もない噂を流されることには慣れていたので、俺達は自分が見たものしか信じていない。当然、幻太郎に子供がいるなんて現実味のない囁きも俺は本気にしていなかった。ただちっとばかし、面白くねえな、とモヤモヤしてはいたが。

 そんな噂もすっかり忘れていた矢先、俺は乱数と会った一週間後にバイト先の店で幻太郎とばったり出くわした。
 エスカレーターを昇ってきた幻太郎は、店のレジ付近で大量のラッピングを捌いていた俺を見付けて目を丸くし、俺はと言えばそんな幻太郎の姿に固まった。何でこんなところにお前が、と疑問が湧いたのはここがクリスマスイブのおもちゃ屋だったからだ。クソ長え長蛇のレジ列から発生する、ラッピング待ちの大量の商品を高速で処理していた俺の手は思わず止まった。
 湧いた疑問が耳にしていた噂と嫌な形で繋がり、思わず声を掛けようとしたが、幻太郎は目が合ったにもかかわらず俺を無視して店の中へさっと消えていった。
 その素っ気無い態度に、俺は「は?」って一瞬呆けた。普段の幻太郎なら、俺を見付けると嬉しそうに近寄ってきてはべらべらと嘘を吐いたり無一文の俺を愉快そうにからかってくる筈で――まるで避けるように逃げるように、俺から離れて行った事実に唖然とした。
 バイト中なのに手を止めた俺を叱責する声に慌てて作業を再開したが、一度生まれた疑問とモヤついた感情は胸にこびりついて離れない。それから数分後、タイミング良く昼休憩を与えられた俺は、スタッフルームには向かわず店内を歩き回っていた。どこ行った、と逸る気持ちで探していた幻太郎が長蛇のレジ列に並んでいるのを見付け、俺はその手を迷わず掴んだ。
「誰にやるんだよ、それ」
「帝統……」
 目を見張った幻太郎が、気まずそうな顔で再び俺から目を逸らした。カゴには幼児向けの商品がぎっしり詰まっているが俺の質問に対する答えは無言で、このプレゼントを贈る俺に言えない相手がいるのかよと、胸にこびりついていた疑問が急に現実味を帯び始める。
 列を突然乱した俺に周囲がざわめき出したが、野次馬の喧騒は耳には入らない。俺はただ、幻太郎の口から噂を否定する一言が出てくるのを待っていた。
「…………貴方には見られたくなかったのに」
 重い溜め息とともに吐き出された言葉に、今度は俺が目を見張った。それってつまり……と息を呑んだ俺に観念したように幻太郎は口を開いた。
「年末進行の校了が、昨日ようやく終わったんです。酷い顔をしているから会いたくなかったのに」
「え?」
 目の前の顔をまじまじ眺めると、確かに目元に少し隈が出来ていて肌もやや荒れていた。でも眼の色は仕事を終えた達成感からかきらきらと光っていて、俺は思ったままを口にする。
「いつも通り綺麗じゃん。どこもヘンじゃねえよ」
 その瞬間周囲のざわめきがデカくなった気がしたが、そんなものより目の前の幻太郎の顔がさっと赤くなった事に俺の意識は向いていた。
「それよりこのオモチャ何? 誰にやんの?」
「あっ、こら、勝手に漁るんじゃありません!」
 一向に俺の聞きたい答えをくれない幻太郎に焦りを覚えた俺は、カゴを奪って中身を検品し――、
「…………自分用です」
「これ全部?」
 尋ねながらも、ヤケクソ気味に白状した幻太郎の言葉に俺はすとんと納得した。恐竜のぬいぐるみやサーキットのミニチュアは幻太郎がこっそり押入れに隠しているシリーズに似ていたし、ボードゲームはいつだったか、乱数が女と遊んで楽しかったと話していたものだった。
「だって今年の年末進行、非道かったんですよ?! 入稿した直後にインフルエンザで落ちた分の代理原稿を頼まれるし、乱数もクリスマスシーズンは女性優先で全然連絡が取れないし、無一文のギャンブラーはアリマ記念の種銭を作ることしか頭に無くてちっとも顔を見せないし! 家に届いたおもちゃ屋のDMでちょっと散財して憂さ晴らしするくらい良いでしょう? だって小生、ちゃんと入稿したんですから、世界一偉いんです……!」
 駄々を捏ねる子供のような物言いは、幻太郎の疲労をわかりやすく俺に伝えてきた。人前でこんな風に甘えを出したり気を緩ませることを幻太郎は滅多にしない。それだけ年末進行とやらが辛くて、情緒がぐちゃぐちゃになってて、そんなタイミングで俺に会って気が緩んだんだろーなァ……と察しが付いて、何だか急に肩の力が抜けた気がした。
「このオモチャ、どーやって注文したの」
「え……? 時間に追われていたので担当氏に頼みましたよ、カタログの欲しい物に丸付けて、受け取りはクリスマスイブに自分で行きますからって伝えました」
 妙な噂の出処も完全に腑に落ちて、胸にこびりついていた重い感情が綺麗サッパリ無くなったのを自覚する。気分の晴れた俺は、幻太郎の手を引いて列から離脱した。
「えっ、ちょっと! お会計がまだ……」
「気にすんな、お前は家帰って寝とけ」
 カゴを奪って幻太郎をエスカレーターへ強引に向かわせると、抵抗する力は普段より勢いが弱かった。やっぱ疲れてんだな、と思うと俺の手は自然に動いていて、幻太郎の頭をわしわし撫でながら「原稿全部終わった良い子のげんたろーに、サンタがプレゼントしてくれるってよ」と教えてやる。
「…………サンタさん、お金あるんですか?」
「アリマ記念で増えるから問題ねえ」
 胸を叩いて太鼓判を押してやると、幻太郎は眉を顰めて全然信用してませんって顔をした後――俺にそっと耳打ちをした。
「サンタさんに御礼をしたいので、今夜会いに来てくださいね」
 全然子供らしくない色っぽいその声と、頭を撫でた時に見せたこそばゆそうな顔が交互に俺の情緒を乱してくる。クリスマスなんて毎年アリマ記念のことしか頭になかった筈なのに、サンタになろうとしてる自分が不思議だったが、目の前で悪戯っぽい笑みを浮かべる幻太郎を見ているとそれも悪くねえなと思えた。